『The Art Thief』20世紀末に活躍した美術品泥棒に迫ったノンフィクション

2023年6月に出版された『The Art Thief』は、マイケル・フィンケ*1によるノンフィクション作品であり、現代史上最も多くの窃盗を行った美術品泥棒の一人、ステファン・ブライトヴァイザーの驚くべき実話を描いている。フィンケルは11年の歳月をかけ、ブライトヴァイザーとの40時間に及ぶインタビューを含む綿密な取材を行い、この型破りな泥棒の内面に迫った。本書は、犯罪記録の域を超え、芸術、所有、そして愛情の本質について深い洞察を提供する、刺激的な一冊となっている。

フィンケルは、1994年から2001年にかけてのブライトヴァイザーの"活動"を克明に描写している。約8年間で200件以上の強盗を働き、ガールフレンドのアンヌ=カトリーヌ・クラインクラウスと共にヨーロッパ中の美術館や大聖堂から300点以上、推定20億ドル相当の美術品を盗み出したという事実は、読者を驚愕させるに十分だ。しかし、本書の真価はそうした事実の羅列にあるのではない。フィンケルは、ブライトヴァイザーの大胆かつ計算高い手口、そして彼の複雑な人格を巧みに描き出すことで、単なる犯罪者としてではなく、一人の人間として浮かび上がらせることに成功している。

本書の最も興味深い点は、ブライトヴァイザーの盗みの動機に迫るところだ。彼は金銭目的ではなく、芸術への愛のために盗みを働いたと主張する。自らを「型破りな収集方法を持つコレクター」と呼び、美術館の人間よりも自分が作品を愛し、よりよく保護できると考えていた。この一見すると滑稽にも思える主張は、盗んだ美術品をすべて母親の屋根裏部屋に大切に保管していたという事実によって、ある種の説得力を持つ。フィンケルは、ブライトヴァイザーのこうした主張を単に受け入れるのではなく、彼の心理を多角的に分析し、読者に深い洞察を提供している。

著者は、ブライトヴァイザーを複雑で矛盾に満ちた人物として描き出すことに成功している。彼の行為は明らかに犯罪であり、社会に多大な損害を与えた。しかし同時に、彼の芸術に対する深い知識と理解、そして純粋な愛情は否定できない。実際、ブライトヴァイザーは芸術作品を傷つけることに強い嫌悪感を抱いており、「レンブラントを切り裂くよりもむしろ自分の体を切り裂く」とまで述べている。本書はブライトヴァイザーに対する嫌悪と賞賛の入り混じった感情を率直に表現し、読者に独自の判断を委ねている。

フィンケルは、ブライトヴァイザーの性格をより立体的に描くことにも成功している。彼は大胆で計算高い一方で、自信過剰で非現実的な面も持ち合わせていた。日中の混雑した美術館で盗みを働き、人々の注意を引かないよう心理的な洞察力を駆使する一方で、盗んだ美術品をすべて母親の屋根裏部屋に保管し、自分は世界で最も裕福な人間だと感じていたという矛盾した側面が、彼の人物像をより魅力的なものにしている。

フィンケルの筆致は、ブライトヴァイザーの行動を単に記述するにとどまらず、その背後にある心理や社会的背景にまで踏み込んでいる。例えばガールフレンド、クラインクラウスの心境の変化を描くことで、この異常な"活動"が二人の関係性にもたらした影響を浮き彫りにしている。最初はスリルを楽しんでいたクラインクラウスが、最終的には彼らのライフスタイルの行き詰まりに気づき、子供を持ちたいと考えるようになる過程は、読者に彼らの人間性を感じさせる重要な要素となっている。

本書の特筆すべき点は、フィンケル自身の変化も率直に描いていることだ。彼はブライトヴァイザーとの対話を通じて、芸術の捉え方が変わったと述べている。これは単に一犯罪者の物語を伝えるだけでなく、芸術と人間の関係性について再考を促す、より普遍的なテーマを内包していることを示している。

『The Art Thief』は、犯罪者の心理と芸術への情熱が交錯する、魅力的で思慮深い作品だ。フィンケルの丹念な取材と洞察力のある文章は、ブライトヴァイザーの物語を通じて、善悪の境界、執着と愛情の違い、そして芸術の真の価値について、読者に深い問いを投げかけている。

本書は単なる犯罪ドキュメンタリーを超えた、人間の複雑さと芸術の魅力を探求する深遠な作品だといえる。ブライトヴァイザーという稀有な事例を通して、芸術、所有、愛情、そして人間性そのものについて、読者に新たな視座を提供することに成功している。本書は、芸術愛好家はもちろん、人間の心理や社会問題に関心を持つ読者にとっても、刺激的で価値ある一冊となるだろう。

 

*1:フィンケルは2001年に、アフリカでの児童奴隷問題を取り上げた記事を書いたが、その主人公が実在の人物ではなく合成キャラクターであることが発覚した。この事件により、フィンケルはニューヨーク・タイムズを解雇されている。