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『A Different Kind of Power』NZ元首相ジャシンダ・アーダーンが自身の在任期間中を振り返る回顧録

2025年6月に出版された『A Different Kind of Power』は、2017年から2023年までニュージーランド首相を務めたジャシンダ・アーダーンの回顧録である。本書は、単なる政治家のキャリアを振り返るだけのものではなく、リーダーシップの新たな定義を問いかけ、共感や優しさが持つ力を強調する内容となっている。

回顧録は時系列に沿って構成され、幼少期や家族との生活から始まり、労働党党首への突然の就任、首相在任中の出来事や個人的な経験が詳細に語られている。

アーダーンが掲げる優しさと共感のリーダーシップでは、政治において優しさや共感が弱さと見なされがちな認識に異を唱え、これらが真の強さとなりうると主張している。自身のリーダーシップは共感を行動と結びつけるものであったとし、特に2019年のクライストチャーチモスク銃乱射事件後の対応では、犠牲者家族を抱きしめ、「彼らは私たちだ」という言葉で国民の心を一つにしたことが、従来の政治的リーダー像とは異なる人間味ある手法として世界的に評価された。

本書の中では、女性首相として経験したインポスター症候群について語っている。自身が常に自信の欠如や自己疑念に悩まされてきたことを率直に明かしているが、これを弱点ではなく、謙虚さ、入念な準備、専門家の意見を求める姿勢に結びつける強みとして捉えている。この自己疑念こそが、思慮深く危機に備えるリーダーへと成長させた要因であったと考えているようだ。*1

首相在任中の母親業についても、在任中に子どもを産んだ世界で二番目の国家元首として、母親業とリーダーシップの両立の困難を赤裸々に描写している。出産後わずか六週間で職場復帰し、生後三ヶ月の娘を連れて国連総会に出席した出来事は、ワーキングマザーにとって象徴的な瞬間であったとされる。彼女は「母親としての罪悪感は決して消えない」と語りつつ、辞任が「母親業が首相にとって困難だった」という誤解を生まないよう慎重に言葉を選んでいる。*2

国家的な危機への対応は、アーダーンの在任期間の中でも注目を集めたハイライトの一つである。クライストチャーチモスク銃乱射事件の際には、わずか27日(議論と可決は10日)で軍用セミオートマチック銃器の禁止を含む銃規制法を成立させ、銃器の買い取りプログラムを実施した。COVID-19パンデミックでは、ニュージーランドの「ゼロ・COVID」戦略を指揮し、国民の命を最優先に守る姿勢を貫いたが、国境封鎖やワクチン義務化をめぐって国内で激しい批判や抗議も受けた。それでも推定二万人の命を救ったとされ、非常に困難な判断だったのである。

首相を辞任する決断については、2023年1月に「タンクに十分な燃料が残っていなかった」と述べ、燃え尽き症候群ではないとしながらも、職務を遂行するために必要なエネルギーと熱意が尽きたことを理由に挙げている。これは自ら政治的キャリアに区切りをつける異例の決断として、彼女の誠実なリーダー像を裏付けるものとされている。そのほかにも個人的なエピソードとして、公衆トイレで批判者に遭遇した話や娘の言語発達のこと、2022年後半に乳房の腫瘤が見つかり癌の可能性があったこと、連立交渉中に妊娠していたことなど、これまで語られてこなかった出来事が含まれている。

ジャシンダ・アーダーンは1980年にニュージーランドで生まれ、警察官の父と学校給食の調理員の母のもとで育った。28歳で国会議員となり、労働党副党首を経て、2017年に37歳でニュージーランド史上最年少の首相に就任した。首相退任後はハーバード大学で共感的リーダーシップの分野で活動を続け、気候変動対策やオンライン上の暴力的過激主義の排除を目指す国際的取り組みにも尽力している。

この回顧録は、その正直さと個人的な洞察、人間味あふれるリーダー像の描写によって高く評価されている。共感的で勇気あるリーダーシップの新たな可能性を示し、多くの読者にとっても希望を与える一冊であることは間違いない。

参考資料:

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A Different Kind of Power - Wikipedia

A Different Kind of Power by Jacinda Ardern review – not your usual PM | Autobiography and memoir | The Guardian

▼本書がナタリー・ポートマンのブッククラブで7月の推薦図書として選ばれました

 

『L’anniversario』イタリアを舞台に家族との決別を果たした主人公を描く2025年ストレーガ賞受賞作

アンドレア・バイヤーニの最新作『L’anniversario(記念日)』が2025年1月に刊行され、イタリア文学界で最高の栄誉とされるストレーガ賞を受賞した。本作は、長年にわたる家庭内暴力から逃れた息子の視点で、家族との決別を描く物語である。

物語の舞台は、ローマから北イタリアのピエモンテ州、フランス国境に近い小さな町に移り住んだ中流家庭である。語り手の息子は、父、母、妹と暮らす閉ざされた家を「監獄のような密室」と形容する。この家庭では暴力が日常となり、支配と愛情が入り混じった歪んだ関係が続いていた。外からかかってくる一本の電話だけが、この孤立した世界をわずかにつなぐ手段であった。

父親は自らを被害者のように装いながら、実際には家族全員を精神的に縛りつける存在として描かれる。威圧的で感情の起伏が激しい父親の根底には、病的なまでの愛情への執着があり、それが支配の道具になっている。バヤーニはこの父の姿を通して、古い家父長制の価値観と個人的な心の問題が絡み合うことで生まれる家庭の悲劇を浮き彫りにしている。父親は家族の物語を自分だけが書けるものと信じ、ほかの家族の役割を勝手に決めてしまうのだ。

しかし、語り手はそうした家父長制を自らの代で終わらせようとしている。男性として、受け入れられない男の行動に対して「ノー」とはっきり突きつける。その毅然とした姿勢が、この物語に強い芯を与えている。

母親については、人生を諦めた女性の痛ましい姿が丁寧に描かれている。夫の期待に応えようと自分を抑え込み、存在を消すようにして生きる母親は、いつしか家の中で「透明な人」になっていた。語り手は、父の支配の陰で見えなくされた母親の存在を見つめ直そうとする。バイヤーニはインタビューにおいて、カフカの『父への手紙』のエピソードに言及し、手紙が当初母親に託されたものの、最終的に父親に渡されなかった事実を挙げている。この出来事を通じて、母親が父の権力を暗黙のうちに支える『共犯者』であった可能性が、自身の小説のテーマにも深く関わると分析している。

物語の核心は、主人公が家族との関係を絶ってから十年が経ったことを「記念日」として位置づける点にある。カトリック的価値観が根強いイタリア社会では、親子の縁を切ることは大きな禁忌とされる。しかし主人公は、職場や友人関係では別れが当たり前に受け入れられるのに、家族だけはそれを許さない社会の矛盾を鋭く指摘する。その決別は冷徹で、外科手術のような精密さをもって、家族という閉じたシステムに一線を引く行為となっている。

バイヤーニが長年アメリカに住み、創作指導をしてきた経験も本書に深く影響している。アングロサクソン圏、とりわけアメリカでは、家族との物理的な距離を置くことが比較的認められているのに対し、イタリアではいまだに家族と離れることはタブー視されている。この文化の違いが、家族のつながりに関する考察に奥行きを与えているといえる。

著者のアンドレア・バイヤーニは1975年ローマ生まれの作家、詩人、ジャーナリストで、2000年代中頃から精力的に作品を発表している。2021年にイタリアで刊行された『Il libro delle case(家の本)』が、現時点で日本語で読める唯一の作品である。現在はテキサス州ヒューストンのライス大学で創作を教えている。

『L’anniversario』は、家族の中に潜む目に見えない暴力をあぶり出し、読む者に自らの解放を問いかける小説である。家庭という小さな世界に潜む全体主義を告発し、暴き出すその誠実さは、読む人の心を痛めつつも、心を解き放つ力を持っている。主人公がイタリア社会の家族観と向き合い、決別する姿は、保守的な家庭で苦しむ世界中の多くの読者の共感を呼ぶものとなるだろう。

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L’anniversario – Premio Strega 2025

Andrea Bajani, premio Strega 2025 con L’Anniversario: «In Italia abbiamo ancora un grosso tabù: della famiglia si può parlare male ma non ci si può sottrarre. I maschi dovrebbero essere i primi a contestare il patriarcato» | Vanity Fair Italia

『The Letter Carrier』1930年代イタリアの小さな村で初の女性郵便配達人となった主人公の物語

フランチェスカ・ジャンノーネが2023年に発表した『La Portalettere(郵便配達人)』は、イタリアで年間40万部を売り上げる大ヒットとなり、同年最も読まれた小説として話題を集めた。この作品の英訳『The Letter Carrier』が2025年7月に刊行され、国際的な関心も高まっている。本作が多くの読者を魅了するのは、1930年代という時代的制約の中で、自らの意志を貫こうとする女性の姿を力強く描いているからであろう。
 
物語が展開されるのは、1930年代イタリア南部のプーリア州にある小さな村リッザネッロである。主人公のアンナは、北部の港町ジェノヴァから夫に従って移住してきた女性である。都市部で育った彼女にとって、南部の閉鎖的な村落社会は異質な世界であった。夫の希望により新天地へと向かうことになったアンナは、馴染みのない環境で孤立感を味わうことになる。村の住民たちは彼女を「部外者」として距離を置いた。知識を持ち、宗教に頼らず、世間の噂や先入観に左右されない彼女のような女性は、この土地では前例がなかったのである。
 
移住当初の辛い日々を耐え抜いたアンナは、やがて就職への道を歩み始める。夫が反対したにもかかわらず、彼女は女性には門戸が閉ざされていた郵便配達員の職に挑戦することを決断した。採用試験を突破したアンナは、その地域における初の女性郵便配達員として歴史に名を刻むことになる。最初は歩いて配達を行い、後に自転車を使用するようになったアンナの活躍は、当時の女性としては画期的なものであった。村民から「異邦人」扱いされていた彼女が、今度は各家庭を訪問し、住民同士を結びつける役割を担うようになったのである。
 
この時代の農村部では、読み書きのできない人々が数多く存在した。アンナは職務の範囲を超えて、そうした人々のために手紙の内容を音読したり、代筆サービスを提供したりした。軍務に就いた息子からの便り、遠方に移住した親族からの絵葉書といった重要な通信の橋渡しを行っていたのである。このことは、郵便配達員という職業が単純な物品の配達にとどまらず、地域社会における情報伝達の要としての意味を持っていたことを物語っている。さらに、秘密の恋愛関係にある人々の文通も取り扱い、時として内容を読み上げる場面もあった。こうした業務を通じて、アンナは村の様々な秘密を知る立場となっていく。
 
作品の中心には、アンナを取り巻く複雑な人間模様が描かれている。夫カルロとの関係は安定した夫婦愛として表現されているが、一方でカルロの兄弟アントニオがアンナに恋愛感情抱いているという設定がある。この二人の間に生まれる無言の愛情は、物語全体を貫く重要な要素となっている。アントニオは兄に対する敬愛の念から、自分の感情を押し殺さざるを得ない苦悩を抱えている。アンナの生き方は、自分自身で人生を決定する権利を持つ女性像を表現しており、夫カルロが仕事に反対したとしても、彼女は自分の信念を曲げることがない。
 
この作品は恋愛と勇気をテーマとした物語であると同時に、人間の生命力と、個人の決断が人生を左右する力についての深い考察を含んでいる。アンナは村で孤立していた友人ジョヴァンナを支援し、女性の自立を支える施設の創設に尽力するなど、彼女の行動は多数の若い女性たちに誇りと独立心をもたらした。アンナは自分の生き方を通して、女性が家庭での役割と職業での役割を同時に果たすことができるという先進的な考え方を実践したのである。
 
この小説には実在の人物をモデルとした背景がある。それは作者自身の曽祖母アンナ・アラヴェーナその人である。ジャンノーネは新型コロナウイルスによる外出制限期間中、実家で一世紀前の曽祖母の名刺を偶然発見した。そこには「郵便配達人」という職業名が刻印されていたのである。この発見に触発された作者は曽祖母の生涯について詳細な調査を開始し、彼女がサレント地方で最初の女性郵便配達員であったという史実を確認した。この事実にインスピレーションを得て、作者は曽祖母の実際の体験に創作的な要素を加えて物語を構築していったのである。
 
作者のフランチェスカ・ジャンノーネは1982年生まれのイタリア人小説家である。2023年に発表した本作がデビュー作となり、これが予想を上回る成功を収めて年間40万部の売上を記録し、2023年のイタリア小説界で最高の販売実績を残した。翌2024年には第二作『Domani, domani』を世に送り出し、この作品も含めて両作品が2024年のベストセラー・ランキングの上位10位以内に入るという快挙を成し遂げている。『La Portalettere』はすでに映像化に向けての権利が売却されているという話もあり、原作小説として注目を集めることは間違いない。
 
『La Portalettere』は、ひとりの女性が社会からの圧力に屈することなく、独自の道筋を切り開いていく物語として読むことができる。家族間の結びつきや歴史の流れを背景として、愛情、偏見、友情という時代を超越したテーマを掘り下げている。およそ100年近く前にたくましく生きた女性の姿は現代の読者を勇気づけるものとなるだろう。

参考資料:

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"La Portalettere" di Francesca Giannone: recensione libro

La portalettere di Francesca Giannone, una storia d'amore, discriminazione e amicizia | BonCulture

 

『Looking at Women Looking at War』戦争犯罪の調査に従事したウクライナ人作家による未完のノンフィクション

ヴィクトリア・アメリーナの遺作『Looking at Women Looking at War: A War and Justice Diary』(戦禍の女性たちをみつめて:戦争と正義の日記)は、2025年2月の刊行以来、国際的な注目を集めている。本作品は、ロシア・ウクライナ戦争の現実を女性の視点から記録したドキュメンタリー文学として、戦争文学の新たな地平を切り開いている。
 
戦争勃発当時、作家として活動していたアメリーナは、母国の危機に直面し、自身の役割を根本的に見つめ直すことになる。文学者から戦争犯罪の証言者へと変貌を遂げた彼女は、戦時下における女性たちの体験を記録することに使命を見出した。破壊された教育機関文化施設を巡り、証言者たちの声に耳を傾けながら、彼女は現代史の重要な一ページを書き留めていく。
 
この作品が特筆すべきは、戦争に巻き込まれた女性たちの多様な経験を浮き彫りにしている点である。法曹界から軍事分野に転身した人物、人権活動家としてノーベル平和賞を受賞した活動家、文学関係者の安否確認に奔走した図書館員など、様々な背景を持つ女性たちの軌跡が描かれている。特に印象的なのは、アメリーナの調査活動を支えた先輩格の女性調査員の存在である。この人物は2014年の紛争開始から長年にわたり困難な任務に携わり、一時は平穏な生活を望んでいたものの、情勢の悪化により再び現場に戻ることを余儀なくされた。
 
アメリーナの視点は、単純な戦況報告を超えた深い洞察を提供している。現在起きている破壊行為が、長期にわたるウクライナ文化への組織的攻撃の一環として位置づけている。この歴史的視点は、現在の紛争を単発的な事件としてではなく、より大きな文脈で理解する重要性を示している。
 
本書の構成上の特徴は、完成作品と未完成部分が共存している点にある。作家の生前に完成していた部分は全体の60%程度であり、残りの部分は彼女の関係者たちによって補完された。録音記録の文字起こし、執筆途中の原稿、詳細な注釈などを組み合わせることで、全体として一つの作品に仕上げられている。この混合的な構成は、戦争の混乱状態と突然の死という現実を反映した独特の文学形式を生み出している。
 
アメリーナの経歴を振り返ると、1986年にリヴィウで生まれ、青年期に一時カナダで生活した後、故郷に戻って大学を卒業する。コンピューター科学の学位取得後、技術分野での職業経験を積んだが、2015年に創作活動に専念することを決意した。彼女の文学的出発点は、2014年の政治的変革を題材とした『The Fall Syndrome, or Homo Compatiens』だった。その後、児童文学『Somebody, or Waterheart』、歴史的背景を持つ小説『Dom’s Dream Kingdom』など、幅広いジャンルで作品を発表し、後者はEU文学賞候補にも選出された。
 
悲劇的な最期は、2023年6月下旬、東部戦線の危険地域で他の文学関係者と共に食事をしていた際に起こった。ロシア軍の攻撃により重篤な負傷を負い、数日後に37歳で生涯を閉じることとなった。
 
本作品は発表後、国際的な文学界で高い評価を受けている。2025年にはジョージ・オーウェル文学賞を受賞し、ウクライナ出身の作家として初の快挙を成し遂げた。審査委員会は戦争が人間に与える影響を深く描写した作品として評価している。また、マーガレット・アトウッドが序文を担当し、20世紀の戦争報道の巨匠に匹敵する才能として紹介している。
 
『Looking at Women Looking at War』は、現代ウクライナが経験している試練と、それに対する人々の対応を記録した貴重な証言として、後世に継承されていくべき作品である。アメリーナが生命を代償に残した記録は、極限状況下においても歴史を記録し続けることの意義を我々に問いかけている。

参考資料:

youtu.beMargaret Atwood on Victoria Amelina, Who Recorded the Lives of Ukrainian Women Under War ‹ Literary Hub

Looking at Women, Looking at War by Victoria Amelina review – in memory of the Ukrainian novelist who catalogued war crimes | Journalism books | The Guardian

『Travels』ジュラシック・パークを生み出したベストセラー作家の自伝的ノンフィクション

1988年に刊行されたマイケル・クライトンの自伝的ノンフィクション作品『Travels(トラヴェルズ)』は、単なる旅行記にとどまらず、著者の内面と外界への探求を深く掘り下げた一冊である。『ジュラシック・パーク』や『ER緊急救命室』の原作を手がけたベストセラー作家であるクライトンが、自身のハーバード大学医学部での経験、世界各地での冒険、そして精神世界への足を踏み入れていく過程を率直に描いている。

本書は大きく三つの部分に分けられる。第一部では、クライトンハーバード大学医学部時代(1965年から1969年)の経験に焦点を当てている。彼はこの時期、医学という道が自身には合わないことを痛感したと記している。特に、患者や病状からの必要な客観性に対する苦悩や、医療従事者の姿勢への疑問が述べられている。例えば、患者が医療に関して疑問を呈することへの否定的な風潮や、末期患者が望まない治療を強制される状況に異を唱えた。医学部在学中にスリラー小説を執筆して生計を立て、最終的に作家の道へ進む決断をしたクライトンの才能が描かれている。医学部の描写は、時に「生々しく」、非常に「鮮やか」な筆致で記録されており、当時の医療現場の実態を垣間見ることができる。

第二部は、著者がカリフォルニアに移住した1971年から1986年までの「旅」の記録である。これは物理的な世界各地への旅であり、ルワンダのジャングルでの野生動物の追跡、キリマンジャロへの登山、マヤのピラミッド探訪、タヒチでのサメとの遊泳、パキスタンの山岳地帯でのトレッキングなど、多岐にわたる冒険が描写されている。これらの経験は、クライトンが物事を自身の目で見て、感じ、直接知りたいという強い好奇心に駆られて行われたものである。

この第二部には、一部の読者から倫理的な問題提起や批判が寄せられた箇所も含まれている。バンコクでの児童売春宿への訪問については、その性質や著者の関わり方について、多くの読者から不快感や異論が指摘されている。

第三部は、クライトンの精神世界への旅に費やされている。彼は科学者としての従来の自己認識から離れ、体外離脱、アストラル投射、オーラ、チャネリング、超能力者との交流、スプーン曲げ、瞑想といった「ニューエイジ」的な体験に深く没入していく。この部分は読者の間で賛否両論を呼んでおり、一部の書評家からは「退屈」あるいは「信じがたい」といった評価も寄せられている。しかし著者は、現代科学が扱う「真実」は一面に過ぎないという独自の視点を示しており、また、人間が病気を引き起こすという、物議を醸す考えも提示している

『Travels』は、単なる旅行記や自伝に留まらず、マイケル・クライトンという知的な探求者が、科学と精神、外界と内面の間でいかに葛藤し、自らの「真実」を見出そうとしたかを詳細に記した作品である。その構成や内容は、発売から時を経た現在でも読者の関心を引き続けている。現代の読者からすれば疑問に感じるような考えも示されているが、本書は、今なお世界を魅了する彼の作品群の根底にある思想や探求心への理解を深める上で、有益な手がかりとなるだろう。

参考資料:

Travels (book) - Wikipedia

TRAVELS | Kirkus Reviews

https://www.goodreads.com/book/show/7665.Travels

 

『Widow Basquiat』バスキアと恋人スザンヌ・マロックの激動の人生を振り返った一冊

2000年に刊行されたジェニファー・クレメントの著書『Widow Basquiat』(バスキアの未亡人)は、1980年代のニューヨークで活躍し、今も高く評価されるアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアと、恋人スザンヌ・マロックの物語を描いている。刊行から25年が経過した現在も、デュア・リパ主催のブッククラブで2025年6月の課題図書に選ばれ、彼女と著者の対談が公開されるなど、改めて本書に注目が集まっている。

物語の舞台は1980年代初頭のニューヨークである。この時代は、初期ヒップホップの誕生期であり、ポストパンクやニューウェーブ音楽が隆盛を極め、アンディ・ウォーホルらの前衛芸術家たちが集う、活気あふれる時代であった。そうした環境の中、路上にグラフィティを残すアーティストとして知られたバスキアは、急速に国際的な名声を得ていく。しかし彼はその人気の絶頂期に、わずか27歳でヘロインの過剰摂取により命を落とした。 本書のもう一人の中心人物は、バスキアの長年の恋人でありミューズであったスザンヌ・マロックである。カナダで困難な家庭から逃れるようにニューヨークへやってきたスザンヌは、ロウアー・イースト・サイドのバーでバスキアと出会い、二人の激しい関係が始まる。

著者が採用するのは、二人の濃密な関係を、詩的で断片的な描写で表現する手法である。本書は、クレメントによる客観的な叙述と、イタリック体で示されるスザンヌ自身の言葉で構成されており、これにより読者は、伝記的情報とスザンヌの個人的な視点を行き来しながら、より深く物語を体験することができる。 スザンヌバスキアには、幼少期に受けた心の傷という共通点があった。スザンヌは父親からの暴力を経験し、バスキアもまた、ひどい扱いを受けた過去が示唆されている。このような背景が、彼らがお互いを理解し、絆を深める一因となったと著者は分析している。しかし、彼らの関係は常に波乱に富み、バスキアは時に支配的な態度を示し、言葉で傷つけたり、物を投げたりすることもあったとされる。また、バスキアの薬物使用は関係に暗い影を落とし、スザンヌは彼から性感染症をうつされ、不妊になったという事実も描かれている。

本書が際立つのは、バスキアを理想化せず、その人間的な弱さや過ちも隠さずに描いている点である。彼は傲慢で気まぐれな側面を持ちながら、一方で深い愛情や優しさを示すこともあった。高価なアルマーニのスーツを着て絵を描き、それを使い捨てにしたり、リムジンで移動したりするなど、彼の豪華な振る舞いも物語を彩る。著者は、バスキアが本来は善良な人間であり、薬物依存によってその本質が見えにくくなっていたと述べている。

バスキアの芸術は、彼が経験し、観察した社会、特に人種差別というテーマと強く結びついていた。ニューヨーク近代美術館を訪れた際、展示されている黒人アーティストの作品の少なさに触れ、バスキアは「これは白人のプランテーションだ」と発言したと伝えられている。彼の作品には、古典史、著名な芸術家、アフリカ文化、黒人アスリート、さらには漫画の要素までが巧みに融合され、幅広い知識が反映されていた。彼はグラフィティ・アーティストとしての背景を持ちながら、自身の作品を「読むことができる原稿」と捉え、文字を多用することで、視覚と解読の新たな対話を追求した。彼の作品は、当時の白人中心の美術界への挑戦であり、「黒人男性を美術館に入れるため」に絵を描くと公言していた。

物語に深い影を落とすのは、マイケル・スチュワート事件である。スザンヌが一時関係を持った若い黒人アーティストであるマイケルは、白人警官に殴打され死亡するという悲劇に見舞われた。この事件はバスキアの被害妄想を増幅させ、彼の芸術活動全体に影響を与えたと描写されている。 1980年代のニューヨークは、芸術的自由と性的自由が爆発的に花開いた時代であったが、エイズの流行が拡大し、その活気は急速に薄れていった。多くの人々が命を落とし、恐怖が蔓延する中で、「陰性(ネガティブ)」という言葉は、安堵と奇跡を意味するようになった。

バスキアの成功が加速する一方で、彼の薬物使用はさらにエスカレートしていった。彼は名声、富、そして成功を追い求めたが、それらは心の虚無を満たすことはなく、ますます孤独を深めていく姿が描かれている。ある日、高価なテレビやステレオを買い込んだバスキアが涙を流しながら「何を他に買えばいいのか分からない」とスザンヌに告げる場面は、彼の内面の空虚さを鮮明に示している。 バスキアが破滅へと向かう中、スザンヌは自身の人生を取り戻すための旅を始める。彼女は一時的にアーティストや歌手としても活動し、ヨーロッパのクラブをツアーで回るなど、様々な経験をした。しかし、バスキアの死を境に、彼女は薬物依存の生活から抜け出し、自身の知性を生かす道を模索し始める。28歳で高校を卒業し、その後医学部に進学した。最終的には精神科医となり、薬物乱用の治療を専門とするまでに至った。スザンヌの物語は、彼女が単なるミューズにとどまらず、困難な状況から立ち直り、自らの人生を切り開いた、力強い女性の成長物語としても読むことができる。

興味深いことに、著者は1980年代初頭にスザンヌと出会い、彼女がバスキアと交際していた頃から親しい友人であった。しかし、本書執筆にあたってスザンヌに対して直接インタビューを行ったわけではないと述べている。特定の出来事について電話で確認することはあったものの、著者はスザンヌの声が「今でも私の中で聞こえる」と語り、長年の交流に基づく記憶と主観が執筆の大部分を占めているようだ。

本書の著者ジェニファー・クレメントは、1960年コネチカット州グリニッジ生まれのアメリカ系メキシコ人作家である。2015年から2021年まで、PEN Internationalの初の女性会長を務めた。2009年から2012年までのPENメキシコ会長時代には、ジャーナリスト殺害を連邦犯罪とする法律改正に貢献するなど、表現の自由と人権擁護に大きく貢献している。 クレメントは『Widow Basquiat』の他にも、数々の小説や詩集を出版しており、その中には『Prayers for the Stolen』や『Gun Love』といった高く評価される作品が含まれる。彼女の作品は30以上の言語に翻訳され、多くの文学賞を受賞している。

『Widow Basquiat』は、出版当初は19社の出版社から拒絶されたという経緯を持つが、現在ではカルト的な名作として広く認識され、スピルバーグによるテレビシリーズ化も進行中であるとされている。この作品は、バスキアという伝説的なアーティストの内面に光を当て、彼が単なる「天才」ではなかったこと、そして彼を取り巻く人間関係や社会の現実を浮き彫りにしている。1980年代ニューヨークのアートシーンを生き生きと描くと同時に、スザンヌ・マロックという一人の女性が、苦難と混乱の中でいかに自己を見つけていったかを語る感動的な人間ドラマと言える。

参考資料:

youtu.be

You Must Read This: 'Widow Basquiat,' By Jennifer Clement : NPR

Jennifer Clement - Wikipedia

Boom For Real: Widow Basquiat Reveals The True Story Of A Complicated Artist And Flawed Man | Weekly Alibi

 

『The River is Waiting』不慮の事故により子供を死なせた父親が刑務所の中で生き抜く小説

2025年6月に刊行された、ウォーリー・ラムによる長編小説『The River is Waiting』は、新米の父親である主人公コルビー・レッドベターが、耐え難い悲劇を引き起こし、罪の償いと許しの可能性を探る物語である。本書は2025年6月にオプラ・ウィンフリーのブッククラブで選書されたことでも注目が集まっている。

物語の始まりでは商業デザインの職を失った35歳のコルビーが、新たな父親としての重圧と、周囲に隠しているアルコールと抗不安薬の依存症に苦しむ姿が描かれる。彼の妻エミリーが唯一の収入源となる中、コルビーは職探しに意欲を失い、毎朝不安を抑える薬とラム酒をコーヒーで流し込むという危険な習慣に陥っている。結果として、彼は2歳の双子の子供たちの世話すらままならなくなる。

ある凍えるような春の朝、コルビーは自宅の車道で2歳の息子を誤って車で轢いてしまうという事故に見舞われる。この出来事により家族は崩壊し、コルビーは過失致死罪で3年の懲役刑を言い渡される。

物語のほとんどは刑務所内で展開され、ここは人間の最も醜い部分と最高の部分を描く舞台となっている。コルビーは残虐な看守たちによる苦痛を味わう一方で、刑務所図書室の司書(おすすめの本を教え、手作りのクッキーをプレゼントし、図書室の壁に壁画を描くよう勧める)や、さらに心優しい同房者マンディを含む他の囚人たちとの交流を通じて希望を見出していく。また、本来収容されるべきではなかった、深刻な問題を抱える若い囚人のために尽力する場面も描かれている。

本作は、刑務所という設定を舞台に、人間の最悪な側面と最高の側面を深く掘り下げている。著者ウォーリー・ラム自身が20年間にわたり、コネチカット州唯一の女性刑務所であるヨーク矯正施設で受刑者の女性たちにライティング指導をしてきた経験が、刑務所生活のリアルな描写に反映されている。この経験から、ラムは受刑者たちが日々の退屈さ、看守による権力の乱用、そして限られた更生プログラムといった厳しい現実に直面していることを肌で感じ取ったという。ラムはまた、アメリカの司法制度における問題点として、精神疾患を持つ受刑者への不十分なケアや、懲罰を優先し人種差別を内在するシステムについても率直に言及している。彼は、更生プログラムが機能するには受刑者自身の「重労働」が必要だとしつつも、「心を病んだ人を叩きのめして治すことはできない」と批判的な見解を示している。

本書の中心にあるのは、「自らの子供を死なせてしまった男に、許しを得るだけの償いが可能なのか」という問いである。コルビーは、妻エミリーと娘メイジーが自分を許せるのか、そして自分自身を許せるのかを深く思い悩む。事故そのものはアルコールと薬の影響下で起こした悲劇だが、コルビーとの間に感情的なしこりのあった父親や、精神的な痛みを薬で紛らわせていた母親のもとで過ごした幼少期が、彼の自己評価の低さと依存症にどう影響したのかも描かれる。

また、著者は自身のアルコール依存症の経験をコルビーのキャラクターに投影していることを明かしている。彼は50代になってからアルコール依存症の問題に直面し、そのリハビリテーションの過程を物語に織り込んでいる。この個人的な経験が、依存症の描写に深みとリアリティを与えているのである。

ウォーリー・ラムは、1950年10月17日にコネチカット州ノーウィッチで生まれたアメリカの小説家である。彼の小説は数々の成功を収めており、特に『She's Come Undone』(1992年)と『I Know This Much Is True』(1998年)は『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストで1位を獲得し、いずれもオプラズ・ブッククラブに選定された。

ラムは25年間、母校であるノーウィッチ・フリー・アカデミーで英語とライティングを教え、またコネチカット大学ではクリエイティブライティングのディレクターも務めた経験がある。特に注目すべきは、1999年から2019年までの20年間、コネチカット州にある女性刑務所、ヨーク矯正施設で受刑者向けのライティングプログラムを指導していたことである。この経験は、執筆プログラムから生まれた受刑者たちの自伝的エッセイ集『Couldn't Keep It to Myself』と『I'll Fly Away』を編集するきっかけとなり、また本書のリアリティ溢れる刑務所描写に大きく貢献している。

『The River is Waiting』は、主人公コルビーを人間的な欠点や事故中心的な側面を持ち合わせたまま、自らの過去と向き合い続ける。本書は悲劇的な始まりから、主人公コルビーの葛藤、自己受容への道のり、そして許しを求める旅を描いていく。感情的な負担が大きい物語であることは間違いないが、それを乗り越えた先には、人間という存在の複雑さ、そして悲劇からの回復と再生の可能性を描いているという点で、一読の価値があると言えるだろう。

参考資料:

youtu.be

THE RIVER IS WAITING | Kirkus Reviews

Book Marks reviews of The River Is Waiting by Wally Lamb Book Marks

Wally Lamb - Wikipedia