バラク・オバマ前大統領による2024年夏のリーディングリストで取り上げられた『When the Clock Broke: Con Men, Conspiracists, and How America Cracked Up in the Early 1990s』(時計が壊れたとき:詐欺師、陰謀論者、そして1990年代初頭にアメリカが崩壊した経緯)はライターのジョン・ガンツが、1900年代初頭のアメリカの国内動乱と、それが今日の政治的分断と過激主義の復活をどのように予示していたかを考察したものである。著者はこの10年間を、一見静かな政治状況にも関わらず、レーガン時代の秩序の崩壊と、より激動するアメリカの台頭を目の当たりにした時代として描いている。
「時計が壊れたとき」というタイトルは、リバタリアン経済学者のマレー・ロスバードが1992年に行った演説に由来している。ロスバードは、ジョージ・H・・W・ブッシュを予備選挙で破ろうとしていたパット・ブキャナンを讃える演説の中で、「社会民主主義の時計を壊す」と宣言し聴衆から喝采を浴びた。著者はこの発言をアメリカの右派における、ニューディール以降のコンセンサスを覆したいという願望の象徴と位置付け、本書の主要なテーマとしている。
ガンツは、1990年代初頭のアメリカの「国民的絶望」(National despair)の感覚を浮き彫りにしている。これはアメリカの中層階級を縮小させた景気後退と、政治に対する高まるシニシズムによって引き起こされたものである。彼は、レーガン時代の終焉と冷戦終結後の世界におけるアメリカの立ち位置を巡る不安と不確実性の空気が、絶望感に拍車をかけたとしている。この絶望感はのちに共和党内で影響力を持つことになる、著名なものから非主流なものまで様々な人物に利用され、ついには今日のアメリカの政治的分裂の伏線となったのである。
本書は、この時代の不安と不確実性が、右派ポピュリズムと権威主義の台頭という現代アメリカ政治における重要な転換点となったと指摘する。例えばデイビッド・デュークはかつてクー・クラックス・クランの最高幹部であったが、1990年台初頭に政治の表舞台に登場し、人種差別的なレトリックと白人至上主義のイデオロギーを掲げた。彼は1991年のルイジアナ州知事選挙で、民主党の元知事エドウィン・エドワーズに敗北したものの、共和党予備選挙でかなりの票を獲得し、共和党支持者の間での人種差別や経済的不安の広がりに衝撃を与えた。デュークの登場は、共和党内のより広範な傾向、つまりポピュリストの怒りと文化的不安を利用して既存の政治体制に挑戦しようとする動きを象徴するものだった。
著者はこの時代に陰謀論、反知性主義、反エリート主義感情が高まったとも指摘する。人々は政府、メディア、専門家に対する信頼を失い、自分たちの問題に対する簡単な答えやスケープゴートを求めるようになった。当時の一般的な陰謀論には、政府による隠蔽工作、経済エリートによる搾取などがあった。これらの陰謀論は、既存の権力構造に対する不信感をさらに煽り、反エリート主義感情を助長した。それに加えてラッシュ・リンボーなどのトークラジオのパーソナリティが、陰謀論や反エリート主義的なレトリックを広める上で重要な役割を果たした。彼らは怒り、憤慨、不満を煽るような番組を作り、既存の権力構造に疑問を抱く人々の共感を呼んだ。さらにケーブルテレビの普及により、人々は従来のニュースメディア以外にも、自分たちの既存の信念を確認するような情報源を選択できるようになった。このような環境の変化が陰謀論の肥沃な土壌となり、今日のソーシャルメディアによって増幅された偽情報や、蔓延するディープステート陰謀論に反映されていると著者は主張する。
『When the Clock Broke』は、このように現代アメリカを理解するためのロードマップを提供している。1990年代初頭の出来事を振り返ることで、今日の政治と社会を形作った右派ポピュリズム、陰謀論、政治的分極化のルーツについて洞察を得ることができる。本書は、表面的なノスタルジアを超えて、現代アメリカ社会における最も緊急性の高い課題を理解するための重要な文脈と教訓を提供していると言えるだろう。