『Of Boys and Men』“有害な男らしさ”から“成熟した男らしさ”へ。マスキュリニティを考える一冊。

バラク・オバマ前大統領による2024年夏のリーディングリストに挙げらていた『Of Boys and Men: Why the Modern Male Is Struggling, Why It Matters, and What to Do about It』(少年と男性:現代の男性がなぜ苦境に立たされているのか、なぜそれが問題なのか、そして私たちに何ができるのか)は現代社会において、特に若い男性が、教育、仕事、アイデンティティの面でどんな困難に直面しているかを考察している。

著者のリチャード・リーヴスはブルッキングス研究所のシニアフェローであると同時にアメリカ少年男性協会の会長も務める作家である。彼は、男性が抱える問題は、女性への配慮を損なうことなく真の男女平等を実現するために議論・解決するべき課題だと指摘する。では男性がどんな苦境や困難を抱えているのか。

本書はまず、西洋社会において男子は女子よりも学校生活の初期段階で遅れを取っており、高校卒業率や大学進学率にそのことが表れていると主張する。これは従来型の学校教育が、一般的に女子に適応しやすいように設計されていることによる教育方法とのミスマッチ、また男子の方が発達的に遅れていることが原因として考えられる。また女性の社会進出が進み、男性が担ってきた役割が変化する中で、男子は将来のキャリアや人生設計に対して、不安や無力感を抱きやすくなっているとも述べている。

さらに従来の父親像である「稼ぎ手」としての役割が、現代社会においては必ずしも男性のアイデンティティや目的意識に結び付かなくなっており、父親の役割の再定義が必要とされているとも訴える。共働き世帯が増加する中で、男子は目指すべき新しい父親像を模索する中で、様々な葛藤を抱えていると言える。

加えて著者は「有害な男らしさ」という言葉は、男性らしさ自体を否定的に捉えさせてしまうため、問題解決にはつながらないと考えている。その言葉を使うことで、男性は問題を個人レベルで捉え、自分自身を責めてしまう可能性があるとしている。リーブスは、男性が抱える問題は、社会構造や文化的な要因によって引き起こされている側面も大きいとし、個人を責めるのではなく、社会全体で解決策を探るべきだと呼びかける。

「有害な男らしさ」という言葉は、男性と女性の間に新たな対立を生み出し、建設的な議論を阻害するのではないか、というのが著者の考えだ。その代わりに彼は「成熟した男らしさ」を提唱し、女性への尊敬と平等を前提とした上で、男性らしさの中にも社会に貢献できる要素があると主張する。真の男女平等を実現するためには、男性と女性が互いに理解を深め、協力していくことが不可欠であると訴える。

リーヴスは「成熟した男らしさ」の対義語として「未熟な男らしさ」という表現を用いることも提案している。これらの表現は、男性らしさの中にも成長段階や成熟度に応じて異なる形態が存在することを示唆しており、男性全体を悪と決めつけることなく、問題行動を具体的に指摘することを可能にする。

では著者は「成熟した男らしさ」を身につけた男性像としてどのようなイメージを描いているのか。女性や弱者に対して優しく、思いやりのある態度で接することができること。他者の感情を理解し、共感することができる。チームワークを重視し、周囲と協力して物事を進めることができる。自分の弱さや脆さを認め、助けを求めることができる。これらの特徴を持つ男性こそが、現代社会において真に求められる存在だと主張している。

本書は「成熟した男らしさ」という概念が、軍隊という特殊な組織においても、多様な人材の活躍促進、メンタルヘルスの重視、リーダーシップの多様化など、より柔軟で現代的な価値観を取り入れる助けになるのではないかと論じている。

リチャード・リーヴスは主にアメリカ社会を背景に本書を書いているが、日本の男性が抱える生きづらさへの理解を深める上でも役に立つだろう。ただし、日本とアメリカでは社会構造や文化的背景が異なるため、彼の提言をそのまま適用するには注意が必要である。そもそも女性の社会進出が全く進んでいない日本において、本書で展開される議論は夢のまた夢といった所だろうか。それでも真の意味で社会全体が成熟していくためには、まず個人として出来るところから手をつけていきたいものである。