2024年8月にフランスで刊行されたルーベン・バルクによる初の長編小説『Tout le bruit du Guéliz』(グエリズのすべての騒音)は、モロッコのマラケシュに住む祖母が一人で聞く謎の騒音を巡る個人的な探求の物語である。この騒音は、単なる物理的な音ではなく、歴史、記憶、そして失われた共同体の響きとして描かれ、語り手である孫のルーツを探る旅へと読者を誘う作品だ。
物語はパリに暮らす語り手である「私」と母親が、マラケシュのグエリズ地区に住む祖母ポレットを訪ねることから始まる。祖母は、数週間あるいは数カ月前から続く、彼女にしか聞こえない謎の騒音に悩まされており、その音源を特定できずにいた。「私」は彼女の精神状態を心配し、その騒音の正体を突き止めるためにマラケシュへと赴く。
この謎めいた騒音を探る道のりは、次第に語り手の個人的なルーツと家族の歴史、そしてユダヤ系モロッコ人コミュニティーの物語を巡る旅へと変貌していく。グエリズはマラケシュの新市街、かつてのヨーロッパ人地区であり、一方、旧市街にはメラーと呼ばれる古いユダヤ人地区がある。祖母の家族はかつてメラーに住んでいたが、1960年代後半にグエリズに移り住んだという。六日戦争(1967年)やヨム・キプール戦争(1973年)といったイスラエル・アラブ紛争の後、多くのユダヤ人がアラブ諸国からの移住を余儀なくされ、マラケシュのメラー地区もそのユダヤ人人口が激減した。祖母ポレットは、その中にあってマラケシュに残った数少ないユダヤ人の一人であり、失われつつある世界の最後の支柱、記憶と伝統の守り手として描かれている。
語り手は10年ぶりにマラケシュを訪れ、幼少期の記憶と大人としての視点の両方で街を再発見する。マラケシュは時に冷たく、よそよそしく感じられる。語り手はアラビア語を話せず、家族の間にある沈黙や言葉にされない感情を敏感に察知する。
語り手は、祖母と母とともにメラー地区や旧市街(メディナ)、さらにはウリカ渓谷へと巡礼のような旅に出る。彼らはユダヤ人墓地「ミアラ」や聖人たちの霊廟を訪れ、過去をささやくような人々——祖父のかつてのムスリムの友人で、今もその工房を営む老人など——と出会う。
この物語における「音」は、単なる聴覚的なものではなく、強力な比喩である。家族の秘密のこだま、失われつつある伝統の旋律、あるいは彷徨えるユダヤ人たちの押し殺された叫び。その音は過去の影、記憶、忘却のざわめきであり、かつて人々が共に生きていた時代の残響である。音はポレットの孤独を象徴すると同時に、過去からの呼び声であり、消えることを拒む記憶なのかもしれない。そして時には、忘却から人を救う手段ともなりうる。
物語の終わりには、音の正体の向こう側に、家族はある種の「平安」を見出す。音は、過去からのささやき、彼女が育った街の息づかい、彼女が守りきれない存在の断片、だが決して消え去ることのないものとして捉えられる。語り手と母は、ポレットが属する世界は完全には消え去らないと確信を持ってマラケシュを去る。
著者のルーベン・バルクは、1997年生まれのパリ出身。2022年に祖母が住むマラケシュを訪れ、自身のセファルディ系ユダヤ人*1のルーツを辿った経験がこの小説の直接的なきっかけとなっている。本作は彼のデビュー作であり、新人に贈られる2025年春のゴンクール賞のファイナリストに選ばれている。
『Tout le bruit du Guéliz』は、極めて個人的な家族史を描きながらも、ユダヤ系モロッコ人のディアスポラという歴史的な出来事、世代間の記憶の伝承、そして失われた共同体へのオマージュといった普遍的なテーマに深く切り込んだ小説である。祖母ポレットの人物像を通して、読者はノスタルジーと共に、歴史の重みと人間の回復力、そして困難な状況下でも希望を見出すことの重要性を感じ取ることができるだろう。
参考資料:
Ruben Barrouk : le bruit du mystère - Zone Critique
Les finalistes des prix Goncourt de printemps 2025 - Livres Hebdo