バラク・オバマ前大統領による2024年夏のリーディングリストに挙げられている、ひときわ噛みごたえのあるノンフィクション『Everyone Who Is Gone Is Here: The United States, Central America, and the Making of a Crisis』*1は、アメリカと中米の移民問題について扱っている。
著者のジョナサン・ブリッツァーは、エルサルバドル人の医師であるフアン・ロマゴザなど、中米からの亡命者や移民のライフストーリーを中心に物語を構成している。
ロマゴザは1980年にエルサルバドル国家警備隊に拉致され、拷問を受けた医師である。その拷問は非常に凶悪で、彼が外科手術をできないように故意に腕を銃撃し、神経を意図的に破壊するものだった。その後ロマゴザはメキシコに逃亡し、療養期間中にグアテマラの内戦を経験した難民たちをアメリカに移動させる活動家グループに加わった。彼自身も最終的にアメリカに移住し、腕が不自由な状態であるにもかかわらずワシントンDCにある不法滞在者向けの医療クリニックで責任者を務めるまでになる。
本書のタイトルはロマゴザが語った言葉から取られている。2002年、彼はエルサルバドルの元将軍2名を相手取った訴訟で原告の一人となった。証言台に立った彼は、傍聴席にいる陪審員の前で自分の腕の傷跡を見せ、中米における人権侵害の現実と、それによって心に深い傷を負った人々の存在を訴えた。その際に語った印象的な言葉「法廷にはいない拷問の犠牲者全員のことを考えている」(Everyone Who Is Gone Is Here)を著者であるブリッツァーはタイトルに据えた。この言葉には、ロマゴザの個人的な物語だけではなく、アメリカの移民政策の影に隠れてきた多くの人々の存在をも暗示している。
ではそもそもアメリカの移民政策とはどんなものだったのか。著者は単なる移民政策への批判を超えて、過去数十年にわたるアメリカの介入が中米諸国に与えた影響、そしてその結果として生まれた人道危機を浮き彫りにしている。本書では冷戦時代から続くアメリカの共産主義封じ込め政策が、中米諸国への内政干渉、非人道的な軍事政権の支援、そして広範な人権侵害につながったとされている。
ブリッツァーは、1950年代のグアテマラにおけるCIA主導のクーデターや、1980年代のエルサルバドル内戦へのアメリカの関与など、具体的な事例を挙げながらアメリカの責任を問うている。彼は、これらの介入が中米諸国の貧困、暴力、政治的不安定さを悪化させ、結果としてアメリカへの移民の波を引き起こしたと指摘している。
また本書では、アメリカが自らの政策によって生まれた移民の波に対して、非人道的で効果のない政策で対応してきたことも批判している。トランプ政権下で実施された家族分離政策はその一例である。著者は、アメリカが移民問題の根本的な解決策を見いだせていない現状を、過去の歴史から目を背けようとする「選択的な歴史的健忘症」と表現している。
ブリッツァーが本書の中で描いている移民たちは、いずれもトラウマ的な経験をしており、その家族も含めて大きく傷つけられている。著者としてそのような深く傷ついた人々について書こうとすると、否が応でも感情移入せざるをえない。しかしノンフィクション作家として過度の肩入れは客観的な主張の妨げともなる。それで彼はインタビューした人々について個人的な感情を交えずに、客観的なジャーナリストとして接するよう努めたそうだ。感情的な距離を保つために、綿密な調査と事実確認を積み重ね、インタビュー・裁判記録・歴史文書などを用いて正確で偏りのない物語を提示することも心がけたと語っている。
もちろんジョナサン・ブリッツァーはあくまでもジャーナリストとして中南米からの移民と接してきたのであり、アメリカの政策決定者が取るべき具体的な行動を提唱できているわけではない。
しかし、本書は政策決定者と国境の反対側の人々との仲介役となり、それぞれの側の物語を相手に伝え、移民たちにも自分たちの人生を決める権利を勝ち取る一筋の突破口になり得る。また、これまでずっと続いてきた米国の移民政策がどんな痛みをもたらしてきたのか、人間の経験する苦しみに対する本質的な共感を促す効果もあるはずだ。
そして何よりも党派的な思惑に右往左往することなく、短期的な政治的利益ではなく、長期的かつ持続可能な人道的アプローチの必要性を痛感させられる。
本書が強調するより深い理解、共感、そして長期的な解決策へのコミットメントこそが、アメリカだけでなく世界規模の移民・難民問題への新たなアプローチへの道筋を示すことになるだろう。