『Beverly Hills Spy』真珠湾攻撃の成功に関わったイギリス人二重スパイの数奇な人生

2024年2月に発売された『Beverly Hills Spy: The Double-Agent War Hero Who Helped Japan Attack Pearl Harbor』*1は、第一次世界大戦の英雄で後に日本帝国の二重スパイとなったフレデリック・ラトランドの波乱に満ちた人生を描いた作品である。彼はイギリス空軍で初となる巡洋戦艦からの航空機の離陸を成功させたパイロットである。しかしその後、ビバリーヒルズの豪邸から日本への情報提供を行い、アメリ社交界とのつながりを保ちながら贅沢な生活を送り続けた。これにはイギリス空軍での昇進を逃したことへの嫉妬と階級社会への反発が関係しているとされる。

本書は、ロナルド・ドラブキンが最近機密解除されたFBIのファイルと未翻訳の日本の諜報機関の文書に基づき、ラトランドの人生を初めて詳細に明らかにしたものである。ラトランドは、アメリア・イアハートやハリウッドスターらと親密になりながら、北米と中米のスパイ網を通じて日本に情報を流していたのである。彼は、自身の狡猾さと魅力を駆使して、FBI、イギリス情報局、アメリカ海軍情報局の追跡をかわし、世界的な出来事を引き起こすほどの影響力を持っていたのである。

本書は、ラトランドの二重スパイ活動の詳細を描いている。彼はハリウッドの社交界の名士であり、ビバリーヒルズの豪邸に住み、著名なハリウッドスターと親交があった。一方で、米国海軍情報局(ONI)の西海岸事務所長と親友になり、連邦捜査局(FBI)からも保護を受けていたのである。1922年に昇進を見送られた後、ロンドンの日本帝国海軍事務所に接触し、日本へ渡った。そして、1933年までに日本政府に雇われ、ロサンゼルスで贅沢な生活を送りながら、航空および米国海軍のコミュニティ内で関係を築いていったのである。

ラトランドは、ONIの担当者を欺き、自分が米国政府のために二重スパイとして密かに働いていると信じ込ませた。彼は、真珠湾攻撃の準備に直接関与していたわけではなかったが、彼が日本に提供した情報は、攻撃を計画し、実行する上で重要な役割を果たした。彼は、米国の軍事施設、艦隊の動き、航空機の設計に関する情報を提供し、それが日本海軍が攻撃を成功させるのに役立つものとなった。真珠湾攻撃後、ラトランドはイギリスで懲役刑を言い渡され、1943年12月に釈放された後は、ウェールズの小さな村で余生を過ごした。1949年に自殺により亡くなったラトランドの波乱に満ちた人生は、本書で初めて詳細に明らかにされたのである。

著者のコメントによると、本書の執筆は5年にも及び、当初の家族のスパイ歴を書くアイデアから大きく変化したという。ラトランドのFBIファイルの発見が本書の起点となり、その後の調査で明らかになった彼の複雑な人生が、スパイ活動、ハリウッド、真珠湾攻撃前夜の大きな物語へと発展したのである。

Beverly Hills Spy』は、これまで明らかにされることのなかった、フレデリック・ラトランドの波乱に満ちた人生を、詳細に描き出した意欲的な作品だ。アメリカが第二次世界大戦に突入する直前の複雑な国際情勢の中で活躍した一人のスパイの足跡を辿ることで、歴史の裏側に隠された真実に迫っているのである。本書は戦後すでに70年経とうとしている今、第二次大戦中のスパイ史研究に新たな視点をもたらしている。

*1:日本語訳 ビバリーヒルズ・スパイ: 日本の真珠湾攻撃を助けた二重スパイの戦争英雄