『Knife』サルマン・ラシュディが2022年に経験した暗殺未遂事件を振り返る回想録

2024年4月16日に発売されたサルマン・ラシュディの回想録『Knife: Meditations After an Attempted Murder』(ナイフ:暗殺未遂後の瞑想)は、著者が2022年8月12日にニューヨーク州シャトークア研究所で受けた襲撃の詳細とその後の出来事を描いている。また2024年全米図書賞の最終選考に残ったことで注目を集めている一冊でもある。

ラシュディが襲撃を受けた日、予定していた講演のテーマは皮肉にも「作家を危害から守ることの重要性」であった。黒い服と黒いマスクを着用した男が通路を駆け下り、彼に突進してナイフを振りかざした。ラシュディの頭に最初に浮かんだのは「そうか、お前だったのか。ついに来たか」という思いであった。襲撃はわずか27秒間であったが、その間に彼は左手を負傷し、胴体を複数箇所刺され、首を切られ、片目を刺されて視神経を損傷した。

彼は入院中、人工呼吸器をつけられ、肺に管を挿入されるなど、重篤な状態に陥った。さらに腸や膀胱にも問題が生じ、悪夢や幻覚にも苦しんだと振り返っている。数週間の入院を経てリハビリ施設に移り、歩行や基本的な動作を再学習することになった。片目での生活に適応するために、盲点を補う訓練も行われた。また、身体的な苦痛だけでなく、精神的なトラウマにも対処するため、セラピストの助けを借りることになった。

襲撃から12週間後、ラシュディはニューヨークの自宅に戻ることができた。外出ができるようになり、日常生活に戻りつつあったが、片目での生活は依然として難しく、頭をぶつけたり、水をこぼしたりすることがよくあったという。

ラシュディは襲撃犯に対して怒りを感じることはなかったが、新しい小説の構想を練り、夏の夜空の下で立っていた幸福な瞬間が破壊されたことに対する悲しみは深いものがあった。また、『悪魔の詩』によって引き起こされた「30年前の死刑執行命令」が現実となったことで、過去に引き戻されたように感じたとも述べている。過去の亡霊が蘇り、「過去」が彼の現在の人生を狂わせ、トラウマが常につきまとっていると感じているのだ。

この試練の中で最も支えとなったのは、妻エリザの献身的な支えであった。ラシュディは彼女を「愛とケアの化身」と呼び、彼女の愛情が自身の回復を導いたと強調している。また、家族や友人、そして世界中の読者から寄せられた多くの励ましのメッセージも、彼にとって大きな力となり、この出来事自体が人間の善意と連帯の力を示すものとなった。

本書はサルマン・ラシュディの個人的な回想録であると同時に、表現の自由の重要性を改めて問いかけるものである。彼が経験した襲撃は、作家が自分の考えを表現する自由のために、大きな代償を払わなければならない現実を示している。どの国であれ、検閲の増加に対して警鐘を鳴らし、人間性の本質を守るために私たちが何をすべきか、深く考えさせられる一冊である。そして何よりも著者が表現の自由ために再びペンを取り、自身の経験を世に送り出した勇気に敬意を表したい。

 

『跑去她的世界』妻子を亡くしたマラソンランナーがテクノロジーを使って現実逃避する中国SF小説

2024年8月に発売された『跑去她的世界』(彼女の世界へ駆ける)は、四川省出身1991年生まれのSF作家・夏桑による初の長編小説である。夏桑は現在、成都に在住している。物語の主人公は、負傷したマラソンランナーであり、彼が走るたびに亡き妻の姿を見るという体験が物語の核となる。

主人公の沈禹銘は、成都ラソンで優勝候補とされていたが、怪我により大会を途中棄権し、さらにネット上の中傷により精神的に追い詰められ、うつ状態に陥ってしまう。彼は家庭を顧みず、妻の献身的な支えにも気づかないまま、自己中心的な振る舞いを続ける。しかし、妻と子の突然の死により、彼は深い後悔と自責の念に苛まれることになる。

沈の友人であり、同じように心の傷を抱える李希は、自身が開発した実験的な薬を沈に提供する。その薬を服用すると、辛い時間をスキップできるだけでなく、走ることで亡くなった妻の姿を見ることができるという。沈禹銘はこの薬に依存し、一時的に現実から逃避しようとするが、次第にそれが根本的な解決策ではないことに気づき始める。

物語が進むと、「受難器」という人間の苦しみを吸収する装置が登場する。沈禹銘はこの装置の存在を知り、藁にもすがる思いで試すことを決意する。「受難器」は実際に彼の苦しみを吸収し、一時的な安らぎをもたらす。しかし同時に、それが本当に正しい解決策なのか、倫理的な問題はないのかという疑問も浮かび上がる。沈は自身の過去の行動や選択を客観的に見つめ直し、虚栄心や愚かさに気付かされる。そして、過去を受け入れ、再び生きる道を選ぶことになる。

当初、沈は自分の仕事中心の生活態度や、妻への無関心について反省することなく、むしろ自己憐憫に浸っていた。しかし物語が進むにつれ、彼は自分の行動の真意や、妻への本当の愛情に気づくようになる。そして自己中心的な自分を反省し、真の自己認識へと向かっていく。自己欺瞞から脱却し、真の自己と向き合うことの重要性が、本作のテーマの一つであると言える。

さらに、本作には「意識を別の時間軸に跳躍させる薬」や「人間の苦痛を吸収する受難器」といったSF的なガジェットが登場する。これらの技術は一見魅力的に映るが、科学技術の発展と人間の幸福の関係、そして倫理的な境界線について、読者に問いかける役割を果たしている。

『跑去她的世界』は明確な答えや解決策を提示するわけではないが、登場人物たちの葛藤、苦悩、再生の過程を通じて、読者自身に内省を促す作品であると言える。

 

『Primary Trust』生きづらさを抱えた主人公が一歩踏み出すまでを描くピューリッツァー賞戯曲賞受賞作

2024年ピューリッツァー賞戯曲部門を受賞したエボニー・ブースの『Primary Trust』は、2023年5月から7月までオフブロードウェイで初演された作品である。主演はウィリアム・ジャクソン・ハーパー、演出はクヌート・アダムスが手がけ、批評家からも高い評価を得た。

この戯曲は、ニューヨーク州クランベリーにある架空の郊外に住む男性、ケネスを主人公にした物語である。ケネスにはイマジナリーフレンドのバートがおり、2人は毎晩ウォーリーズというティキバー(南大西洋ポリネシア文化をモチーフにした酒場)で過ごしている。彼は20年間書店で働いていたが、店の閉店に伴い新しい仕事を探さねばならなくなる。

ケネスは10歳のときに母親を亡くし、その後孤児院で育ったことが示唆されている。また彼が住む街はほとんど白人に占められており、数少ない黒人のひとりとして育ったこともあって、深い孤独感を抱え、他人と親密な関係を築くことに恐れを感じるようになった。そのことが彼の行動や思考パターンに大きな影響を与え、バートとの関係から安心感を得るようになった。

さらに、新しい仕事を見つけなければならないというプレッシャーが、ケネスに不安や恐怖を抱かせる。しかし、ウェイトレスのコリーナが彼を励ましたことで、地元の銀行の窓口係の仕事に応募する決心をする。驚くことに、彼はその仕事を得て、理解のある上司クレイとも良好な関係を築いていく。結果として、ケネスは外の世界へ徐々に心を開き始める。

『Primary Trust』は、戯曲そのものだけでなく、舞台美術と音楽にも注目すべき点がある。ミニチュアの建物と実物大の人物が並ぶことで、登場人物(特にケネス)がいかに小さく無力に感じているかが視覚的に表現されている。これは、彼が抱える喪失感や社会に馴染めない息苦しさ、自分の心性をコントロールできないもどかしさを象徴している。また、劇中でケネスは、15年後にはこの街の風景が再開発で失われるだろうと語る。ミニチュアの街並みは、やがて失われてしまう儚い風景として、彼自身の変化と重ね合わせて描かれていると解釈できる。

音楽はルーク・ウィコッドニーが作曲・演奏したオリジナルスコアが使用されており、場面の雰囲気を盛り上げ、ケネスが抱える不安感や孤独感を効果的に表現していると評価されている。特に劇中で繰り返されるベルの音は、時間の経過を表すと同時に、ケネスの不安定な精神状態を象徴する効果音として機能している。このベルの音により、観客に緊張感が与えられ、ケネスの内面世界へと引き込むことに成功している。

本作では、ケネスが働いていた書店の閉店や、ティキバーが再開発によってマンションに建て替えられるなど、資本主義経済の影が常に付きまとう。これは現代社会における経済格差の拡大や雇用の不安定化、地域コミュニティの崩壊に伴う人々の心の拠り所の喪失を暗示している。それに加え、ケネスのように社会から取り残された人々に対する無関心さも浮き彫りになっている。周囲の多くの人々は、彼の孤独や苦悩に気づきながらも、見て見ぬふりをしているかのようである。

『Primary Trust』は、現代社会の暗い側面を描きながらも、希望の光を見失っていない。ケネスは人々との交流を通して、他者と心を通わせる喜びを感じ始める。そして、ラストシーンでは、新しい世界へ一歩踏み出す決意を、彼らしいやり方で表明する。エボニー・ブースが描き出す登場人物たちの日常は、私たちが弱さを抱えながらも生きていく希望を、静かに問いかけていると言える。

 

Primary Trust (English Edition)

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『No Right to an Honest Living』南北戦争時代の黒人労働者が直面した経済格差を明らかにするピューリッツァー賞歴史部門受賞作

ジャクリーン・ジョーンズの『No Right to an Honest Living: The Struggles of Boston’s Black Workers in the Civil War Era』(正直な生計を立てる権利なし: 南北戦争時代のボストン黒人労働者の闘い)は、2024年ピューリッツァー賞歴史部門を受賞した。南北戦争時代のボストンにおける黒人労働者が直面した経済的賃金格差について論じた一冊である。当時、ボストンは奴隷制廃止運動の中心地として名高かった。しかし、その実態は言葉だけが先行し、正義の実現に向けた行動が伴っていなかった。黒人労働者にとって、ボストンは依然として厳しい場所であった。多くの白人奴隷制廃止論者は、黒人労働者の窮状に目をつぶり、黒人の経済状況を改善することが白人労働者階級の政治的影響力を弱めると考えていたのだ。

南北戦争や黒人部隊への参加によっても、黒人労働者が直面する根本的な不平等は解消されなかった。彼らは低賃金の仕事を求め、新たにやってきたアイルランド移民と競争しなければならず、結果的に適切な職に就くことは困難だった。黒人にとって賃金を得て働くことは市民権の重要な証であったが、ボストンでは事実上、完全な市民権を得ることはできなかったのである。

奴隷制廃止運動は、黒人労働者の経済状況に直接的、統一的なプラスの影響を与えたわけではなかった。奴隷制廃止論者たちが奴隷制を終わらせる上で重要な役割を果たしたことは確かだが、彼らの努力はボストンの黒人労働者が直面する経済的課題にまで及んでいなかった。

本書では、黒人ボストン市民がそのような厳しい状況下でどのように対処したのかについても言及されている。例えば、一部の黒人労働者は違法なサービスを提供したり、ギャンブルや酒類販売、売春などの仕事に従事し、地下経済で生計を立てていたという。これらの仕事は当時の社会的価値観からは道徳的とは言えなかったが、差別的な労働市場で生き残るための重要な手段であった。

また、「逃亡奴隷へのなりすまし」も現金収入を得る手段の一つであった。逃亡奴隷ではないにもかかわらず、身分を偽り、南部で家族を買い戻すために資金が必要だと同情を誘い、金銭を募った。彼らは信ぴょう性を高めるために綿密な物語を作り上げ、時には奴隷制廃止論者から金銭を詐取することもあった。このような詐欺行為は、奴隷制廃止運動家たちに真の逃亡奴隷と詐欺師を見分けることの難しさを突きつけた。なりすましの成功には巧みな話術と説得力のある演技が必要だったが、こうした行為は真の逃亡奴隷に対する支援を難しくすることもあった。

さらに、当時の黒人コミュニティは教会や相互扶助組織、友愛組織を通じて、差別的な労働市場から取り残された人々を支援していた。これらの組織は経済的に困窮する人々に金銭的援助を行ったり、仕事や住居を見つけたり、教育の機会を提供したりして、黒人労働者の生活を支えていたのである。

ジャクリーン・ジョーンズは、南北戦争時代の黒人労働者の立場を明らかにするために、裁判記録、新聞記事、個人書簡などの一次資料を綿密に調査している。これにより、黒人労働者が直面した雇用差別や低賃金、劣悪な労働環境の実態が浮き彫りにされている。特に警察裁判の記録は、労働者が自身の労働環境について証言する貴重な情報源となった。また、新聞には求人広告や解雇された黒人労働者に関する記事、奴隷狩りに関する報道が掲載されており、これに加えて国勢調査の分析や黒人労働者が居住していた地域の現地調査も行うことで、当時のボストンにおける彼らの経験がより立体的に描かれている。

『No Right to an Honest Living』は黒人労働者の日常生活と、彼らが直面した経済的課題に焦点を当てた作品である。人種的偏見が彼らへの搾取の主な要因であったことを強調しつつ、経済的搾取における階級の役割についても考察している。白人労働者と白人エリートは、黒人労働者を経済的に周縁化することから利益を得ており、彼らを差別的な雇用慣行に閉じ込めるために団結することがしばしばあったことを示している。このように、本書はアメリカの過去と現在における人種的不平等の根深さについて再認識させる内容となっている。

 

『Night Watch』南北戦争を生き延びた母娘の絆を描くピューリッツァー賞フィクション部門受賞作

2023年9月19日に発売されたジェイン・アン・フィリップスの小説『Night Watch』は、南北戦争直後のウェストバージニア州を舞台に、戦争が残した深い傷跡と人々がどのように向き合っていくかを鮮やかに描いた作品であり、2024年ピューリッツァー賞フィクション部門を受賞している。

物語の主人公は12歳の少女コナリーである。彼女は母親エリザと共に、戦争で荒廃した世界を旅した末、ウェストバージニア州にあるトランス・アレゲーニー精神病院にたどり着く。エリザは一年以上も口をきいておらず、コナリーが家族の中で大人の役割を担っている。

精神病院に到着した2人は、ナイト・ウォッチと呼ばれる謎めいた男に出会う。ナイト・ウォッチは病院で夜間勤務の職員であり、戦争で顔に傷を負い、左目を眼帯で覆っている。彼はコナリーに対して保護者的な存在となり、母親には優しく接する。特に精神的に不安定な母親を気遣い、コナリーを安心させるその姿は、混乱と不安に満ちた世界における癒しと保護の象徴といえるだろう。コナリーは、母親の世話をしながら自身の過去と向き合い、成長していく。

母娘が暮らす精神病院では、トーマス・ストーリー・カークブライド医師が提唱したモラル・トリートメントと呼ばれる、当時としては画期的な治療法が採用されている。これは患者を人道的に扱い、労働やレクリエーション、芸術を通じて精神の安定を図るというものだった。

コナリーとエリザは、戦争によって物理的にも精神的にも引き裂かれた家族の象徴である。コナリーは幼いながらも母親の世話をし、エリザはトラウマによって沈黙している。2人は精神病院という新たな環境で互いの絆を修復し、新たな家族の形を見出そうとする。

著者ジェイン・アン・フィリップスは、『Night Watch』の執筆に際し、登場人物の視点、時間の流れ、史実とフィクションのバランスにこだわっている。12歳の少女の視点を通して、南北戦争後の混乱や精神病院という特殊な環境を描くことに挑戦している。コナリーは幼いながらも、精神を病んだ母親を支え、大人の役割を担わなければならない。フィリップスは、コナリーの無邪気さ、残酷さ、そして強い責任感を描き出し、読者が彼女に感情移入しやすい物語を作り上げている。

本作は、1874年の舞台に加え、1864年の場面が挿入されるなど、時間を行き来する構成となっている。時間の流れはコナリーの視点と密接に関係しており、彼女が過去の出来事や登場人物たちの秘密を知ることで成長していく様子が描かれる。フィリップスは時間を巧みに操ることで、物語に深みと複雑さを与え、読者を引き込む展開を生み出している。

さらに著者は、南北戦争や当時の精神病院に関する徹底的な調査を行っている。「モラル・トリートメント」や、当時の精神病院の建築様式、患者の治療法など、史実に基づいた描写を盛り込むことで、リアリティのある世界観を構築している。しかし歴史的事実に依存するだけでなく、コナリーとエリザの物語、そして他の登場人物たちの背景や人間関係をフィクションとして織り交ぜ、独自の物語を生み出している。

『Night Watch』は、南北戦争が兵士だけでなく民間人にもたらした苦しみを鮮明に描いている。登場人物たちは、それぞれ戦争やその後の混乱、社会の変化の中で、自身のトラウマや喪失感、希望と向き合っている。このように本作を通してフィリップスは、歴史的なディテール、複雑な人間描写、そして魅力的な物語を織り交ぜ、アメリカの過去の暗く忘れられた時代を感動的に描いている。邦訳が出るのを楽しみにしたい。

 

 

全米図書賞 小説部門ロングリストにノミネートされた作品まとめ(2024年版)

2024年9月13日に今年の全米図書賞のロングリストが発表されました。全米図書賞(National Book Awards)は、アメリカ合衆国で毎年開催される文学賞で、最も権威ある文学賞の一つとされています。アメリカ文学の発展を目的に、1950年に設立されたこの賞は、フィクション、ノンフィクション、詩、翻訳文学、児童文学の5部門において優れた作品を表彰しています。受賞者は各部門ごとに1作品で、選考は作家や批評家など文学に精通した専門家によって行われます。

全米図書賞は、作家にとってキャリアの大きなステップとなり、受賞作品は広く注目されます。また、ファイナリストに選ばれること自体が大きな名誉とされています。ロングリストとファイナリストの発表は秋に行われ、受賞者は11月に開催される授賞式で発表されます。授賞式では、受賞者のスピーチも含めたセレモニーが大々的に行われ、文学界全体の関心を集めるイベントです。

今年の全米図書賞の小説部門では、ブッカー賞でも名前の挙がっているパーシヴァル・エヴェレットの『James』や、レイチェル・クシュナーの『Creation Lake』がロングリストに含まれていることも大きな注目ポイントです。

▼全米図書賞の公式Instagramによる投稿

 

Ghost Roots - Pemi Aguda

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Martyr! - Kaveh Akbar

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The Most - Jessica Antony

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Catalina - Karla Cornejo Villavicencio

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Percival Everett - James

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All Fours - Miranda July

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Creation Lake - Rachel Kushner

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My Friends - Hisham Matar

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Yr Dead - Sam Sax

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Rejection - Tony Tulathimutte

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『Rejection』アジア系アメリカ人の拒絶体験を7つの短編から浮き彫りにする短編集

2024年9月17日に発売されたトニー・トゥラティムットの短編集『Rejection』は、現代社会における「拒絶」というテーマを、オンライン文化とアイデンティティの視点から描き出し、注目を集めている。この短編集は、恋愛、セックス、アイデンティティ、人間関係など、人々が直面する様々な拒絶体験を、登場人物たちの内面を通じて鮮やかに描写している。各短編は独立した物語であると同時に、登場人物たちの関係性や共通のテーマによって緩やかに結びついている。読者は、「拒絶」というテーマが持つ多面性とその影響の大きさを、より深く理解することができる。

『The Feminist』では、自称フェミニストのクレイグが、女性への配慮を欠かさないにもかかわらず、性的な関係を持つことを拒否され続ける。彼は10代の頃、女性にとって脅威ではない「友達としての男」という立場に満足していたが、大学に入ってから、現実が自分の思い描いていたものとは違うことに気づかされる。周囲の女性たちは「男はクズだ」と口にしながらも、実際に付き合っているのはロクでもない男ばかりであることに気づき、女性が本当に求めているものがわからなくなっていく。

『Pics』の主人公アリソンは、男友達との一度きりの関係が原因で精神的に不安定な状態に陥る。彼からの拒絶から立ち直れず、オンラインコミュニティに依存していく様子が描かれる。結婚式の招待状を送りつけてくる友人たちや、誕生日にバーに誘ってくれない同僚たちを見て、孤独を深めていく。

『Ahegao』では、タイ系アメリカ人のカントがゲイであることを告白するが、自分の性的な空想が否定されることを恐れるあまり、恋人とのセックスを拒絶してしまう。そして彼は自分の欲望を表現する手段として、オンライン上の匿名の世界で自分を表現できることに気づき、そこに一種の安らぎを見出す。

本書にはこれらの作品を含む7つの短編が収録されている。登場人物の多くは、生きづらさや孤独を抱え、インターネットに逃避する傾向がある。彼らはオンラインの世界に安らぎを求める一方で、現実の人間関係における拒絶体験から逃れられない苦しみを抱えている。こうした描写は、拒絶が現代人の心にいかに深い傷跡を残すのかを浮き彫りにしている。

さらに『Rejection』は、インターネットが人々の生活に深く浸透した現代社会において、オンライン文化が人間関係やアイデンティティにどのような影響を与えるのかを掘り下げている。登場人物たちは、ソーシャルメディアやオンラインゲーム、出会い系アプリに時間を費やし、オンラインとオフラインの世界を行き来している。しかし、オンライン上でのペルソナと現実の自分との間にギャップを感じ、本当の自分を見失っているように見える。また、作中ではグループチャットやRedditへの投稿などの形式が効果的に用いられており、これらのオンラインコミュニケーションは、現代人の人間関係の希薄さや、表面的で刹那的なやり取りを象徴しているようにも見える。

著者トニー・トゥラティムットは、タイ系アメリカ人である。彼はアジア系アメリカ人としての経験を複雑かつ多層的に描いている。彼自身がインタビューで語ったところによると、作家としてのキャリア初期には、自身の作品がアジア系アメリカ人ステレオタイプを強化することを恐れていたようだ。彼は、白人社会におけるアジア系男性に対するステレオタイプなイメージにとらわれ、「惨めな話」として描くことを意識的に避けていた。しかし後に、ユーモアを取り入れた作風に移行することで、ステレオタイプに対峙することを選び、アジア系アメリカ人の経験を当事者の視点から語るスタイルを確立した。そのため本書では、アジア系アメリカ人の惨めで滑稽な姿が、皮肉を交えながら描かれている。

『Rejection』は2024年全米図書賞のロングリストに選ばれ、多くの読書愛好家から注目を集めている。2024年10月以降、著者インタビューが書店やポッドキャストで配信される予定だ。トニー・トゥラティムットが本書についてさらに何を語るのか、引き続き注目していきたい。