『Liars』進歩的な結婚生活に隠されたウソを女性目線であぶり出す小説

2024年7月に出版されたサラ・マンギューソの最新作『Liars』は、現代の結婚生活に潜む欺瞞と自己欺瞞を鋭く描き出した野心作である。主人公ジェーンの視点を通じて、マンギューソは結婚、母性、芸術家としての生き方という普遍的なテーマを探求しながら、社会通念に隠された不都合な真実を赤裸々に暴いていく。

物語は、駆け出しの作家ジェーンと映画制作者ジョン・ブリッジズの出会いから始まる。二人は恋に落ち、結婚し、子供を持つという、いわゆる「理想的な」人生を歩み始める。当初、ジェーンは自分たちの結婚が成功と幸福に満ちた創造的な生活をもたらすと信じていた。しかし、現実はそう甘くはない。

結婚生活が進むにつれ、ジェーンはジョンの野心と自己中心的な性格に飲み込まれていく。彼女は家事や育児に追われ、自身のキャリアを二の次にせざるを得なくなる一方で、ジョンは経済的に無責任で、家庭の負担を分かち合おうとしない。ジェーンは次第に、結婚生活における不均衡と、「すべてを任されているのに、何もコントロールできない」という無力感に苛まれるようになる。

マンギューソは、この不均衡な力関係を通じて、現代の「進歩的な」結婚の実態を鋭く描き出す。表面上は対等なパートナーシップを標榜しながら、実際には旧態依然とした家父長制的な構造が存在する現実を、冷徹な目で暴いていく。

しかし、『Liars』の真骨頂は、単なる結婚批判にとどまらない。マンギューソは、ジェーンの内面に潜む自己欺瞞をも容赦なく描き出す。ジェーンは、周囲の人々だけでなく自分自身にも、この結婚がうまくいっているという嘘をつき続けてきた。この自己欺瞞こそが、彼女を不幸な結婚生活に縛り付けていた最大の要因であると、マンギューソは示唆する。

マンギューソの文体は、簡潔で無駄がなく、それでいて感情的な重みを感じさせる。彼女は、ニューイングランド的な倹約精神を体現するかのように、余計な装飾を排し、本質的なものだけを残す。この文体は、ジェーンの内面の葛藤や、結婚生活の閉塞感を効果的に伝える。

著者自身の経験も、この作品に深みを与えている。マンギューソは自身の離婚経験を踏まえ、「ほとんど脳を破壊するほどの怒り」を昇華させる形でこの小説を書いたという。この個人的な経験が、作品に真実味と切実さを与えている。

『Liars』は、結婚という制度に潜む欺瞞と、それに縛られる人々の自己欺瞞を鮮やかに描き出した秀作である。マンギューソは、社会通念や既存の文学的枠組みにとらわれることなく、現代の結婚生活の実態に鋭いメスを入れることに成功している。この作品は、読者に不快感を与えるかもしれないが、それこそが彼女の意図するところであろう。私たちの社会に深く根付いた欺瞞と自己欺瞞に向き合うことで、真の自由と解放への道が開かれるのかもしれない。

さらに、マンギューソは『Liars』を通じて、芸術家としての女性の葛藤も鮮やかに描き出している。ジェーンの作家としてのキャリアが、結婚生活と育児の重圧の下で押しつぶされていく様子は、多くの女性読者の心に強く響くであろう。ここには、創造性と家庭生活の両立に苦悩する女性アーティストの姿が、リアルに投影されている。

また、この小説は単に個人の物語を超えて、現代社会におけるジェンダーの問題にも鋭い洞察を与えている。ジェーンとジョンの関係性を通じて、マンギューソは、いまだに根強く残る性別役割分担意識や、キャリアと家庭の両立における女性の不利な立場を浮き彫りにする。これは、フェミニズム文学の系譜に連なる重要な作品として位置付けられるだろう。

マンギューソの描く登場人物たちは、決して単純な善悪では割り切れない複雑さを持っている。特に主人公のジェーンは、読者の共感を誘うと同時に、時に不快感さえ覚えさせる矛盾した人物として描かれている。この複雑な人物造形によって、読者は自身の内なる矛盾や欺瞞と向き合うことを促される。

『Liars』の物語構造も注目に値する。現在と過去を行き来する非線形的な語りは、ジェーンの混乱した心理状態を効果的に表現している。また、この構造は、結婚生活における真実と嘘の複雑な絡み合いを象徴しているようにも見える。

マンギューソの作家としての力量は、細部の描写にも表れている。日常生活の些細な出来事や、登場人物たちの何気ない仕草の中に、彼らの内面や関係性の本質が巧みに織り込まれている。これらの繊細な描写が、物語全体に説得力と臨場感を与えている。

『Liars』は、現代の結婚制度と家族の在り方に対する痛烈な批判であると同時に、自己欺瞞から解放される過程を描いた成長物語でもある。最終的にジョンのもとを去るジェーンの姿は、社会的規範や自己欺瞞の束縛から解き放たれ、真の自己を取り戻す女性の姿として印象的だ。

本作は、マンギューソの作家としての円熟を示す傑作であり、現代アメリカ文学の重要な一角を占める作品となるだろう。読者は、この小説を通じて自身の人生や関係性を見つめ直す機会を得ると同時に、社会の在り方にも疑問を投げかけることになるはずだ。『Liars』は、私たちに uncomfortable な真実を突きつけ、そこから目を逸らすことを許さない、強い力を持った作品なのである。

サラ・マンギューソについて触れておくことも重要だろう。1974年生まれの彼女は、マサチューセッツ州ウェルズリーで育ち、ハーバード大学で学士号を、アイオワ大学作家ワークショップでMFAを取得している。彼女の経歴は、『Liars』の舞台設定や主人公ジェーンの背景に少なからず影響を与えているように思われる。

彼女の作品は、「Harper's」「The New York Times Magazine」「The Paris Review」といった著名な出版物に掲載されており、その才能は広く認められている。また、彼女の詩は「Best American Poetry」シリーズの4つのエディションに掲載されるなど、詩人としても高い評価を得ている。またこれまでに9冊の本を出版しており、その中には本作『Liars』の前作にあたる小説『Very Cold People』も含まれる。『Very Cold People』はPEN/ジーン・スタイン賞の最終候補作となるなど、高い評価を得ており、彼女の小説家としての力量を証明している。

マンギューソは、『Liars』の執筆について興味深いエピソードを語っている。彼女によれば、この小説は元夫との別居からわずか4日後、2020年後半に執筆を開始したという。当時の心境を「ほとんど脳を破壊するほどの怒り」と表現し、執筆がその感情を乗り越えるための有効な手段となったと述べている。

また、『Liars』を通じて、「結婚は努力が必要」という通念への異議申し立てを試みたとも語っている。彼女は、結婚生活における「努力」が、しばしば虐待的な行動や不均衡な力関係を正当化するために利用される実態を浮き彫りにしようとしたのだ。

さらに興味深いのは、マンギューソが当初「Liars(嘘つき)」という言葉を、浮気をする夫とその相手を指すものとして思いついたものの、執筆を進める中で、主人公のジェーンこそが最大の嘘つきであるということに気づいたと述べている点だ。この気づきが、物語の核心を形作ったと言えるだろう。

著者の創作プロセスも注目に値する。彼女は自身を「ボトムアップ思考」の持ち主だと語り、物語全体を事前に構想するのではなく、日々の生活の中で見つけた些細な出来事や感情の動きを丁寧に拾い上げ、それらを繋ぎ合わせていくことで物語を紡ぎ出すという。この創作アプローチが、『Liars』の生々しいリアリティと細部の豊かさを生み出しているのだろう。

このように、マンギューソの個人的経験、文学的背景、そして独自の創作プロセスが、『Liars』という傑作を生み出す源泉となっている。彼女の作品は、現代社会における「進歩的な」結婚生活を鋭く批評する文学作品として、今後長く読み継がれていくことだろう。