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『ハンガリー国家の安全――蝶の狩り』クラスナホルカイ・ラースロー、ノーベル賞受賞後の一作――答えなき問いを抱え続ける小説

蝶を追う昆虫学者と、創作の行き詰まりに喘ぐ老作家が、ピリスの山中で交わす問いはひとつである。「なぜ生命は、生きようとする意志など持たないはずの物質から、これほどまでに執拗に生きようとするのか」。その問いに答えは与えられない。しかし、答えの不在を引き受けながら問い続けるという行為の内部にこそ、本作はかすかな光を見出している。

ノーベル賞受賞後の2025年11月に刊行されたクラスナホルカイ・ラースローの長編小説『A magyar nemzet biztonsága - Vadászat pillangóra』(ハンガリー国家の安全――蝶の狩り)*1は、友情と自然、そして科学と芸術の関係をめぐる、静かで孤独な思索の物語である。長大で複雑な文体という作家の特質は維持されているが、本作では分量がやや抑えられ、そのぶんユーモアとアイロニーが前景化し、従来作に比べて読みやすい手触りを備えている。

物語の核にあるのは、対照的な二人の人物の出会いである。一人はハンガリー自然史博物館に勤める昆虫学者アンドラーシュ・パップ博士。幼少期から蝶や蛾の研究に没頭し、チェペルの集合住宅で規則正しい生活を送る彼は、首の骨が癒合するクリッペル=フェイル症候群を抱え、肩甲骨が「翼」のように見える特異な身体を持つ。しかしその内面はきわめて穏やかで、あらゆる生命に対して分け隔てのない愛情を向ける存在として描かれる。

そこに現れるのが、「クラスナホルカイ・ラースロー」という名の作家である。フケにまみれ、尿の臭いを漂わせる、著名な文学賞を受賞した作家のイメージからはかけ離れた老いた男であり、彼は自らを「希望の行商人」と呼びながら、創作の停滞と実存的危機の只中にいる。彼がパップ博士に接近するのは、「生命の起源」という問いに取り憑かれ、その答えを蝶の専門家に求めているからである。

この出会いは、芸術と科学、形而上の問いと実証的知の交差として始まる。しかしやがて亀裂が露わになる。パップ博士は対等な友情の成立を望むが、作家が自分を一人の人間としてではなく、「風変わりな身体と専門性を持つ素材」として扱っているのではないかという疑念を抱く。実際、作家の生活は無秩序で不潔であり、博士はそこに相互理解の可能性の乏しさを見て取ることになる。

背景には、2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻後の現実がある。博物館には政治的背景を持つ無能な館長が赴任し、研究環境は脅かされる。さらに通勤途中のバスで、博士は少年たちから理不尽な暴行を受けるが、彼は怒りを示さず、むしろ彼らの置かれた境遇を思い、告発を拒む。その姿は、現実の荒廃の中に置かれた「聖なる愚者」としての倫理を体現している。

終盤、二人はハンガリー北部のピリス山中で「蝶の狩り」を行う。そこでの対話は、むしろ対話になりきらない沈黙を含みながら進む。作家はもはや「希望という商品」を売ることはできないと語り、書くことをやめる決意を示す。しかしその断念は単なる敗北ではない。言葉を手放すことでしか辿り着けない地点が、そこにはある。パップ博士が探し求める名もなき微小な蝶――その存在を見届けることが「安全」への答えとなるのかどうかは、最後まで宙吊りのまま残される。

蝶と蛾の対比は全篇を貫く。昼に舞う華やかな蝶と、夜に現れる地味な蛾。それは生の顕在的な輝きと、陰影に沈む側面の二重性を象徴している。とりわけ変態という過程は、「生きようとする意志」の不可解さと美しさを可視化する契機となる。また、作家が名乗る「希望の売り手」という自己規定は、芸術が商品として消費される現代の状況を鋭く照らし出す。同時に登場人物たちは、翼も啓示も持たない「現代の天使」として配置され、信仰を喪失した世界においてなお他者との接続を試み続ける存在として浮かび上がる。

タイトルに掲げられた「国家の安全」という語は、この個人的で脆弱な探求と強烈な対照をなす。国家的な安全保障という巨大な言葉の背後で、ここに描かれるのは、自然の細部や生命の不可解さに向き合い続ける個人の、ほとんど取るに足らない営みである。その落差こそが、本作のアイロニーの核心である。

ハンガリー本国では、本作は後期クラスナホルカイの到達点の一つと評価されている。『Seiobo There Below』に見られた自然と芸術へのまなざしを引き継ぎつつ、そこに静けさと、わずかな遊びの感覚が加わっている。同時に作品全体には、どこか別れを思わせる気配が漂い、「生命の起源」という解くことのできない問いに対して、あえて答えを出さないまま向き合い続ける姿勢が貫かれている。

真理や完全な知にたどり着くことは、おそらくできない。それでも、人は理解しようとすることをやめない。その営みは途中で途切れることなく、どこかで持続し続けている。本作が最後に残すのは、その静かな事実である。答えのない問いを抱え続けること――それ自体が、すでに一つの肯定なのだと感じさせるのである。

※本作は2026年3月時点で日本では流通していないようです

www.libri.hu

参考資料:

A remény termék, és mi megvesszük – így olvastuk Krasznahorkai új regényét a Nobel-díj tükrében - Könyves magazin

A remény szabad – Krasznahorkai László A magyar nemzet biztonsága című regényéről | Litera – az irodalmi portál

Boldognak kell elképzelnünk Krasznahorkai Lászlót - Fidelio.hu

*1:ハンガリー語のタイトルにある「Vadászat」は、英語の「Hunt」に相当し、日本語では「狩り」や「狩猟」を意味する。 もし著者が純粋に科学的な「採集」という意味を強調したければ、別の単語(例えば「gyűjtés」)を使うことも可能だったと思われるが、あえて「Vadászat(狩り)」という言葉を選択している。そのため本稿では日本語の仮題を「蝶の狩り」と訳している。