『The God of the Woods』1975年のサマーキャンプで起きた少女失踪事件から描き出すアメリカ階級社会の現実

2024年7月に発売されたリズ・ムーアの最新作『The God of the Woods』は、1975年のアディロンダック山脈を舞台に、階級、家族の秘密をテーマにした心理サスペンス小説である。

物語は、裕福なヴァン・ラー家が経営するサマーキャンプ、キャンプ・エマーソンを中心に展開する。ある朝、13歳のバーバラ・ヴァン・ラーが突如姿を消したことから、物語は始まる。この事件は、数年前に同じ地域で起きた彼女の兄ベアの失踪事件を彷彿とさせ、地域社会に潜む緊張関係を浮き彫りにする。

ヴァン・ラー家は、オールバニー出身の裕福な銀行家一族であり、アディロンダックに「セルフ・リライアンス」と名付けた大邸宅を所有している。彼らは自分たちの富と美徳によって、この小さなコミュニティを支配することを許されていると信じている。しかし、その自負とは裏腹に、彼らの生活は地元の労働者階級の人々によって支えられている現実がある。

物語は複数の視点から語られ、それぞれの登場人物の背景や動機が少しずつ明らかになっていく。主要な視点人物の一人、バーバラの同室であるトレイシーは、労働者階級の出身でありながら、キャンプ・エマーソンに参加する機会を得た少女である。彼女を通して、読者は階級間の軋轢や、富裕層の生活を間近で観察する機会を得る。

バーバラの母親であるアリスは、裕福な家庭に生まれながらも、知性や教養を軽視され、大学進学も許されなかった過去を持つ。彼女の内なる葛藤や、娘の失踪に対する反応を通して、富裕層の女性が直面する制約や期待が浮き彫りになる。

キャンプディレクターのT.J.は、ヴァン・ラー家に長年仕えてきた人物であり、富裕層と労働者階級の橋渡し的存在である。彼の複雑な立場と、両方の世界への理解は、物語に重要な視点をもたらす。

そして、若い女性刑事のジュディ・ラプタックは、ニューヨーク州警察初の女性捜査官の一人として、バーバラの失踪事件の解決に挑む。彼女の奮闘は、1975年という時代背景の中で、女性が男性社会でキャリアを築こうとする困難さを如実に表している。

物語は、バーバラの失踪事件を軸に展開するが、同時に過去の出来事も重要な役割を果たす。1961年に起きたベアの失踪事件、そしてその後の捜査と裁判の顛末が、現在の事件に大きな影を落としている。当時、地元の庭師が犯人として逮捕・投獄されたが、多くの人々は彼がヴァン・ラー家によって罪を着せられたのではないかと疑っている。この過去の事件は、ヴァン・ラー家の権力と影響力、そして地域社会との関係性を象徴的に表している。

さらに、1970年代のアディロンダック地方で暗躍する「スリッター」こと連続殺人犯、ロバート・Gの存在が、物語全体に不穏な影を落としている。この連続殺人事件は、バーバラの失踪とは直接関係がないように思われるが、登場人物たちの恐怖心を煽り、緊張感を高める重要な要素となっている。

ムーアは、これらの複雑な要素を巧みに織り交ぜながら、サスペンスを徐々に高めていく。彼女の文章力は秀逸で、アディロンダックの自然描写は生々しく、読者を物語の舞台へと誘う。森の神秘性と危険性が、物語全体を通じて重要なモチーフとなっており、タイトルの『The God of the Woods』にも反映されている。

物語が進むにつれ、ヴァン・ラー家の秘密が少しずつ明らかになっていく。彼らの「自立」という幻想と、実際には地域社会に依存している現実とのギャップは、アメリカ社会の階級問題を鋭く浮き彫りにしている。また、家族内の軋轢や、世代を超えて引き継がれる傷跡も、丁寧に描かれている。

著者は、登場人物たちの内面描写にも力を入れている。特に、アリスの内なる葛藤や、ジュディが直面する職場での差別、トレイシーが感じる階級間の違和感など、それぞれの人物が抱える問題が繊細に描かれている。これらの描写を通じて、1975年という時代における女性の立場や、社会の変化の兆しが巧みに表現されている。

『The God of the Woods』というタイトルは、物語の多層性を象徴している。それは、ヴァン・ラー家が自らを森の支配者と見なす傲慢さを表すと同時に、連続殺人犯の存在や、森そのものが持つ神秘的で危険な力をも示唆している。さらに、このタイトルは、自然の力の前では人間の力が無力であることを暗示しており、物語全体のテーマを巧みに表現している。

批評家からの評価も非常に高く、多くが星付きのレビューを与えている。「夢中になれる」「ページをめくる手が止まらない」といった表現が多く見られ、ムーアのストーリーテリング能力が高く評価されている。特に、複雑なプロットを巧みに操りながら、登場人物たちの内面描写にも深みを持たせている点が称賛されている。

本作は、単なるミステリー小説を超えた、深い人間ドラマとしても読むことができる。階級、家族、アイデンティティ、トラウマと喪失など、普遍的なテーマを探求しながら、同時にスリリングな展開を維持している点が秀逸である。特に、アメリカ社会の縮図とも言える小さなコミュニティを舞台に、人間の本質に迫る描写は、読者に深い印象を残す。

著者は、この小説を通じて、アメリカ社会の階級問題や、富と権力がもたらす影響、そして個人の選択と責任について、鋭い洞察を提供している。同時に、家族の絆や、過去の出来事が現在に及ぼす影響など、より普遍的なテーマも巧みに織り込んでいる。

『The God of the Woods』は、リズ・ムーアの作家としての成熟を示す傑作である。バラク・オバマアメリカ大統領の2024年読書リストにも挙げられた本作は、複雑な人間関係、社会問題、そしてスリリングなミステリー要素を巧みに織り交ぜた本作は、幅広い読者層に訴えかける力を持っている。緻密なプロットと深みのある人物描写、そして1975年のアメリカ社会を鮮やかに描き出す歴史的な視点が、この小説を単なるサスペンス小説以上の価値あるものにしているといえるだろう。