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『Voir venir』特権は何を受け継ぐのか――レジオンドヌール教育院に潜む継承の暴力

重厚な門をくぐった少女たちは、やがて自分たちが守られているのではなく、閉じ込められていることに気づく。静謐に整えられた寄宿舎の廊下には、過去から受け継がれた「見えない規則」と、まだ名づけられていない不穏さが満ちている。

2026年3月に刊行されたリュシル・ノヴァのデビュー小説『Voir venir』(仮題:やがて来るものを見ている)は、パリ郊外サン=ドニに位置するレジオンドヌール教育院を舞台に、特権と継承が織りなす閉鎖空間の歪みを描き出す作品である。この施設は、レジオンドヌール勲章受章者の子孫にのみ門戸を開く名門女子寄宿学校であり、フランス共和国の栄誉を象徴する制度の延長に位置づけられる存在だ。しかしその実態は、時代から取り残された「箱庭」に近い。華やかさと威圧感を併せ持つ建物はおとぎ話の城のようでありながら、同時にゴシック的な幽閉の気配を帯びている。

物語はサン=ドニ出身の指導員ヴァネッサの視点を軸に展開される。彼女自身はこの学校から数ブロック先の、決して恵まれているとは言えない環境で育った人物だ。寄宿舎の内部に身を置くことで初めて見えてくる世界の歪みを、彼女は静かに観察していく。その視線の先には、ルー、ヤスミン、アデル、シュザンヌという四人の少女たちがいる。祖先の勲章という共通の資格によってこの場所に集められた彼女たちにとって、その象徴は誇りであると同時に重圧でもある。制服に身を包み、非の打ちどころがないほど教養豊かで「お行儀の良い」少女たち。だが家族の歴史に対する距離感はそれぞれに異なり、従順と反発、無関心と欺瞞が複雑に入り混じっている。

この小説の語りの構造は特徴的である。ひとりの人物に寄り添った視点は、出会いや接触を契機に別の人物へと滑らかに移行していく。いわば映画のワンカットのような運動によって、読者は迷路のような校内と少女たちの内面を同時に彷徨うことになる。この連鎖的な視点移動は物語に持続的な緊張をもたらすと同時に、時間の感覚そのものを歪ませる。過去と現在、個人の記憶と制度の歴史が次第に重なり合い、逃れがたい重力を帯びていく。

本作はゴシック小説や、近年人気の高いダーク・アカデミアの系譜に明確に連なっている。とりわけシャルル・ペローの『青ひげ』のモチーフが色濃く参照されており、禁じられた部屋、隠された過去、暴かれるべき秘密という構図が現代的に再構成されている。整然とした寄宿学校の内部で進行するのは、単なる成長物語ではない。制度が称揚する「価値」の裏側にある暴力が、静かにに露出していく。

作品が掘り下げる中心的な問題は「継承」である。だがそれは単なる文化や名誉の継承ではない。語られないまま引き渡されてきた歴史、時に植民地主義に由来する暴力の記憶といった不可視の負債が、どのように次世代に影を落とすのかが問われている。また、思春期という揺らぎの時期に置かれた少女たちの関係性も重要な軸となる。連帯と裏切り、共感と排除が交錯するその様相は、ときにホラーやスラッシャー的な緊張感を帯び、閉ざされた空間の圧力を増幅させていく。

物語はやがて、避けることのできない悲劇へと収束する。読者はすでに散りばめられていた兆候を遡りながら、その結末の必然性を思い知らされることになるだろう。誰も予期していなかったはずの出来事は、しかし確かにこの場所において、長い時間をかけて準備されていたのである。

著者リュシル・ノヴァは、フランスのセーヌ=サン=ドニ県で中学生に文学を教える現役教師である。その教育現場での経験を通じて、現代フランスにおける都市、社会、人種、学校教育の間に横たわる深刻な分断を肌で感じてきたという。2024年には童話をテーマにした考察エッセイ『De Grandes dents(大きな歯)』を発表し、批評家から注目を集めた。本作『Voir venir』はエッセイで培った分析的な視点と、ゴシックホラーや映画への深い造詣を融合させた独創的な筆致で高く評価され、2026年春のゴンクール賞初小説部門にノミネートされている。

『Voir venir』は、現代フランス社会における階層と記憶の問題を、ゴシック的想像力によって鮮烈に再編した作品である。『青ひげ』の物語を現代に召喚しながら、その奥底に潜む政治性と暴力性を白日のもとにさらす——それが、この残酷で魅惑的なデビュー作の核心にある試みと言えるだろう。

※2026年4月現在、本作は日本の大手ネット書店では流通していないようです

参考資料:

www.youtube.com

Lucile Novat : « Les histoires fantastiques m’intéressent lorsqu’elles arrivent à capturer ce qu’on n’aurait pas su articuler dans un discours sagement déplié » (Voir venir)

Voir venir - Editions du sous-sol