『Clear』19世紀スコットランドのクリアランス運動と失われゆく言語にまつわる物語

2024年4月に出版されたカリス・デイヴィスの新作『Clear』は、19世紀半ばのスコットランド高地を舞台に、人間の孤独と結びつき、そして言語の力を探究する傑作である。1843年、ハイランドクリアランスとスコットランド教会の分裂という二つの歴史的激動を背景に、物語は展開される。

ハイランドクリアランスは、18世紀末から19世紀中頃にかけて、スコットランド高地で行われた大規模な土地追放運動である。地主たちは、羊の放牧を拡大するために、多くの農民を強制的に追い出し、彼らの住居を焼き払った。この過程で、高地のコミュニティは壊滅的な打撃を受け、住民は都市部や新大陸へと移住を余儀なくされた。これにより、長い歴史を持つ文化や言語が失われつつあった。

主人公ジョン・ファーガソンは、複雑な内面を持つ人物として描かれている。彼は信仰深い牧師でありながら、経済的困窮から地主の依頼を受け入れるという矛盾した立場に置かれる。この設定は、信念と現実の厳しさの間で揺れ動く人間の姿を鮮明に描き出している。物語の核心は、ジョンと遠島の隠者イヴァルとの出会いにあり、言葉の壁を越えた二人の交流は、人間の本質的なつながりへの渇望を象徴している。

本作における言語の役割は多層的で奥深い。まず、言語はアイデンティティの象徴として機能している。特にノーン語は、イヴァルにとって単なるコミュニケーションツールではなく、彼の存在意義や文化的遺産そのものを体現している。この言語の消滅は、個人や共同体のアイデンティティの喪失を意味し、言語と自己の密接な結びつきを鮮明に描き出している。

同時に、言語は登場人物たちの世界観を形作る重要な要素となっている。ジョンとイヴァルの言語の違いは、彼らの世界の捉え方の違いを反映している。ノーン語の豊かな語彙、特に自然現象や感情を表現する言葉は、イヴァルがより繊細で多角的に世界を理解していることを示唆し、言語が我々の思考や認識の枠組みを形作る力を持つことを巧みに表現している。

さらに、言語は境界を作り出すと同時に、橋渡しの役割も果たしている。ジョンとイヴァルの間の言語の壁は、当初深い溝を作り出すが、同時に二人を結びつける媒体にもなる。言葉を超えたコミュニケーションの模索は、人間の本質的なつながりへの渇望を象徴的に描き出している。

また、この作品は言語を権力と抑圧の道具としても描いている。英語の優位性と地域言語の衰退は、当時の社会的・政治的力学を反映しており、言語が単なるコミュニケーションツールではなく、権力構造を維持し、あるいは変革する手段としても機能していることを示している。

ノーン語の消滅は、文化的記憶の保存という観点からも重要な意味を持つ。言語は単なる言葉の集合ではなく、世代を超えて受け継がれてきた文化や知恵、世界観の宝庫であり、その喪失は取り返しのつかない文化的損失を意味している。

個人の成長の触媒としての言語の役割も見逃せない。ジョンがノーン語に興味を持ち、学んでいく過程は、彼の視野の拡大と精神的成長を象徴している。新しい言語の習得が新しい思考様式の獲得と同義であることを、作品は巧みに描き出している。

著者の執筆プロセスにおける挑戦も興味深い。歴史小説特有の時代錯誤を避けつつ、現代的な視点を巧みに織り込んでいる。特に女性キャラクターの描写において、現代的な行動力を与える誘惑との戦いがあったという。また、絶滅したノーン語の辞書研究が、作品のテーマ形成に大きく寄与していることも注目に値する。彼女は10年以上にわたりこの辞書を研究し、特に感情を表す言葉に魅了されたという。この経験が、作品における言語の重要性と、失われゆく言語がもたらす世界観の喪失というテーマにつながっている。

批評家たちは、著者の簡潔かつ詩的な文体を高く評価している。The Washington Post紙は「私たちはそれを見て、聞いて、匂いを嗅ぎ、身震いする」と絶賛し、The Guardian紙は「言語の灼熱の力へのラブレター」と表現している。これらの評価は、彼女の文章が単に物語を伝えるだけでなく、読者の感覚を刺激し、深い共感を呼び起こす力を持っていることを示している。

一方で、主人公ジョンの心理描写にやや物足りなさを感じる声もある。彼の内面的な葛藤や変化がより深く掘り下げられていれば、作品の深みがさらに増したかもしれない。また、前作『West』ほどの衝撃力には欠けるという指摘もあるが、これは作品のテーマや手法の違いによるものとも考えられる。

しかし、これらの批評を考慮しても、『Clear』は歴史小説の枠を超えた傑作と言える。カリス・デイヴィスは、19世紀のスコットランドという特定の時代と場所を通じて、疎外、帰属、言語の力といった普遍的なテーマを探求することに成功している。

興味深いのは、作品が沈黙の雄弁さにも注目している点である。言葉以上に雄弁に登場人物の感情や関係性を表現する沈黙の場面は、コミュニケーションにおける言葉の限界と、非言語的要素の重要性を示唆している。

総じて、『Clear』は言語と人間性の関係を探求する、深遠かつ洞察に満ちた作品である。過去の出来事を描きながらも、現代社会における共生の問題に鋭い洞察を与え、読者に深い思索を促す一冊として高く評価できる。言語は単なる物語の背景ではなく、人間の本質、社会の構造、文化の継承、そして個人の成長を探求するための核心的な要素として機能しており、作品の深い洞察と豊かな表現を支える重要な柱となっているのである。

『Clear』は、言語の力強さと脆さ、そしてコミュニケーションの本質について深く問いかける作品として、現代の読者に多くの示唆を与えてくれる。グローバル化が進む現代社会において、言語の多様性や文化的アイデンティティの問題は一層重要性を増している。その意味で、本作は単なる歴史小説を超えて、現代社会の課題を鋭く照らし出す鏡としても機能しているのである。