『This Strange Eventful History』祖国フランス領アルジェリアを失った一族の70年に渡る家族の歴史

2024年5月に発売されたクレア・メスードの新作小説『This Strange Eventful History』は、20世紀後半の激動の時代を背景に、一家族の70年にわたる物語を描いた壮大な叙事詩である。この作品は、メスード自身の家族の歴史に深く根ざしており、特にフランス領アルジェリアからの祖父母の経験が重要な土台となっている。

物語の舞台となる20世紀後半は、世界史上でも非常に重要な時期であった。第二次世界大戦、冷戦、植民地独立運動、そしてグローバリゼーションの進展など、世界の政治的、社会的、経済的構造が大きく変化した時代である。メスードは、これらの歴史的事象を巧みに物語の背景に織り込み、個人の人生がいかに大きな歴史の流れに影響されるかを鮮やかに描き出している。

特に重要な歴史的背景として、フランス領アルジェリアの存在とその後の独立戦争がある。フランスは1830年からアルジェリアを植民地支配し、多くのフランス人入植者(ピエ・ノワール)がそこで生活を営んでいた。しかし、1954年に始まったアルジェリア独立戦争は、フランスとアルジェリアの両国に大きな傷跡を残した。1962年のアルジェリア独立により、約90万人のピエ・ノワールが突如として「祖国」を失い、その多くがフランス本国へ移住を余儀なくされた。

小説の主人公であるカッサール家もまた、このピエ・ノワールとしての経験を持つ。家長のガストンとその妻ルシエンヌは、アルジェリアで生まれ育ちながらも、フランス人としてのアイデンティティを強く持っている。しかし、アルジェリア独立後、彼らは「永遠の異邦人」として、自分たちが本当に属する場所を見出せないまま、世界各地を転々とすることになる。

この「根無し草」的な経験は、第二次世界大戦後の世界秩序の再編成と密接に関連している。旧植民地の独立、冷戦構造の形成、そして経済のグローバル化により、多くの人々が国境を越えた移動を経験した。カッサール家の物語は、このような大きな歴史の流れの中で翻弄される個人の運命を象徴的に表している。

さらに、メスードは第二次世界大戦とその影響にも焦点を当てている。戦争の勃発により、ガストン・カッサールはフランス海軍の将校として家族と離れ離れになる。妻のルシエンヌと子供たちは、戦火を逃れてアルジェリアレバノン、フランスの間を転々とすることを余儀なくされる。この経験は、特に子供たちに深い影響を与え、彼らの世界観や価値観の形成に大きく関わっている。

戦後の世界も、カッサール家の運命に大きな影響を与える。アメリカの台頭、ヨーロッパの再建、そして冷戦の始まりといった国際情勢の変化が、家族の選択や生き方に反映されている。例えば、ガストンの息子フランソワは戦後にアメリカへ移住し、その「エネルギー、自由、無頓着さ」に魅了される。これは、旧世界の価値観から新しい世界への移行を象徴しており、世代間の価値観の違いも浮き彫りにしている。

また、1960年代から70年代にかけての社会変革の時代も、物語の重要な背景となっている。フェミニズムの台頭、公民権運動、反戦運動などの社会運動が、カッサール家の若い世代、特にフランソワの妻バーバラや娘たちの価値観や生き方に影響を与えている。彼女たちは、伝統的な家族観や女性の役割に疑問を投げかけ、自己実現を追求していく。

さらに、本作は20世紀後半の経済的変化にも目を向けている。戦後の経済成長、多国籍企業の台頭、そして1970年代の石油ショックなどが、カッサール家の経済的状況や職業選択に影響を与えている。特に、フランソワの仕事を通じて、企業の国際化やグローバリゼーションの進展が描かれている。

このように、メスードは70年という長い時間軸の中で、世界史の重要な出来事を巧みに物語に織り込んでいる。カッサール家の物語は、単なる一家族の歴史ではなく、20世紀後半の世界史を個人の視点から描いた壮大な叙事詩となっている。

彼女の筆力は、これらの歴史的事象を単なる背景として扱うのではなく、登場人物たちの内面や人間関係に深く影響を与える要素として描き出すところにある。例えば、ピエ・ノワールとしてのアイデンティティの葛藤は、単に政治的な問題ではなく、個人の存在意義や帰属意識に関わる深い心理的テーマとして描かれている。

また、本作は歴史を一方的な視点から描くのではなく、複数の視点から多角的に捉えている。例えば、アルジェリア独立戦争については、フランス人としてのアイデンティティを持つピエ・ノワールの視点と、独立を求めるアルジェリア人の視点の両方が描かれており、歴史の複雑さと解釈の多様性が示されている。

さらに、物語を通して筆者は個人の記憶と公的な歴史の関係性についても深く掘り下げている。カッサール家の人々は、自分たちの個人的な経験を通して歴史を解釈し、それぞれの方法で過去と向き合っている。これは、歴史がいかに個人的なものであり、同時に集団的な記憶としていかに構築されていくかを示している。

『This Strange Eventful History』は、このように豊かな歴史的背景を持つことで、単なる家族小説を超えた奥行きと普遍性を獲得している。本作は個人の物語を通して20世紀後半の世界史を描くことで、読者に歴史の複雑さと、その中で生きる人間の姿を深く考えさせる機会を提供している。

この小説は、歴史小説としての側面も持ちながら、同時に人間の内面や家族関係の機微を描いた心理小説でもある。メスードの繊細な筆致は、大きな歴史の流れの中で翻弄される個人の感情や葛藤を鮮やかに描き出し、読者の心に深く響く。

批評家たちが高く評価しているように、この小説の真価は、壮大な歴史的スケールと、個人の内面描写の緻密さを見事に両立させている点にある。メスードは、70年という長い時間軸と、世界各地を舞台とする広大な空間の中で、一家族の物語を通して、アイデンティティ帰属意識、記憶、そして歴史の解釈といった普遍的なテーマを探求している。